雑感

ニセモノ売るには勇気がいるよな〜ってお話。。。

何でも機械で便利に量産出来る時代ですので、機械で加工した「はつり風」のものも売られています。機械加工であっても普通に「名栗」と表記してありますので、わからずに買ってしまう人がいても不思議でないほどです。食品などは材料や製造法によってどういう表示をしなければいけないかが厳密に定めれていますからこういうことは起こりませんが、建材業界というのは最も倫理観のない業界なので、言ったもん勝ちですから何でもいいわけです。随分前の話ですが、山形県の製材所に見学に行った時、「この辺でいい杉が取れれば、みんな秋田県の市場に持っていきます。それが秋田杉って出回るわけです」て普通に話してて、それって詐◯じゃね??ってゾッとしましたよ。

機械加工品が生まれた理由はいろいろあるでしょうけど、その理由はさておき、どんなものにも込められたメッセージというものがある。設計者・施工者・販売者からお客に込めた、この場合のメッセージはこうだ。

「どうせアンタ達には本物の価値なんてわかんないだろうからこの程度のもんでいいだろ!」

設計者・施工者・販売者は、それだけ相手の感性を甘く見ている(バカにしている、とも言える)。

ずいぶん前に読んだ本だけれども、ずっと心に残っている一節がある。もう亡くなられましたけど上智大学の教授であった渡部昇一さんの書かれた「知的生活の方法」(講談社)という本に、骨董商の話として……ニセモノを売りつけた骨董屋は売りつけた相手の悪口を吹聴して回るものだ。ニセモノだとバレた時にお客が怒ってその骨董商を悪く言った時に誰もその客の言うことを聞かないように先手を打っておくため。というような話が載っている。渡部氏が「面白い」と指摘しているのは、誰でも手元に置いて毎日見ていればニセモノだとなんとなくわかってしまう、という点です(ここで氏は本は借りるのではなく買って手元に置いておきなさいという持論を展開していく)。売る時の一時は騙すことが出来る。しかしずっと騙し通すことは出来ないのだ。甘く見て小馬鹿にした相手の感性はその後成長する。その成長した感性にも耐えうるものを提供しておかないと今度は自分が小馬鹿にされる番だ。紛い物やニセモノを提供する人達には、こういう覚悟はあるのだろうか? 自分はそのような蛮勇はとても持てそうにもない…………。

予算が無いから工期がないから、いろんな理由はあるだろうけど、やるのは一時のことで、やったことはその後ずっと残りますからね。怖いことですよ。時の試練に耐えうることだけやっていけたらいいんですが……。誰もがこの世界の片隅で自分のやれることをやるだけだ。

ささっ、今日もハツりましょうか……。

やりたい人は、それぞれお好きなようにおやんなさい、という感じ。

 

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コメント

  1. 「どうせアンタ達には本物の価値なんてわかんないだろうからこの程度のもんでいいだろ!」
    この人は、本物を知っているだけマシですね。判る客には本物を提供できる。
    本物を知らない、見たこともない設計者・施工者・販売者が多過ぎます。
    ま、客とお互いに分相応なんでしょうけど、
    プロならまず本物の価値を知った上で勧めて、客に選択させるべきだと思います。客は紛い物だと知って、懐具合で妥協する。
    紛い物を選んでも、知らないと知ってるでは大違い!

      • hatsurist
      • 2020.08.13 1:41pm

      まぁ、なんにしても、人と人、人とモノが知らず知らずのうちにバランスが取れてしまっているのが興味深いと思います。

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