ちょうな、というのは

このような、曲がった柄と、刃で構成される木工具です。曲がった柄は、木の枝(エンジュやニレの木)を切った後に曲げたものです。漢字で書くと 「釿」または「手斧」になります。

チョウナはオノと共に石器の時代から世界中で使われてきました。なぜそんなに古くから、なぜ世界中で、といいますと、それは非常に単純な形をしているからです。単純過ぎてどこでも誰でも思いつく、ということです。

一つの例え話をします。仮に、無人島に取り残されたとします。

雨露をしのぐための住まいを作らなければならない。木材が必要になります。木を伐り倒したいのだが文明の利器は何も無い。あなたは探すのではないだろうか……尖った石を。石を見つけたらそれを持って木に打ち付けてみる。木には少しキズが入る。倒れるには程遠い。すでに手が痛い。少し考えてみて、手頃な枝を拾ってきて植物のツルで石を結び付けてみる。これを木に打ち付ければ手も痛くないし遠心力も加わって効率がいい……やがて木は倒れる。と、古代の石斧の誕生はこんな風だったのではなかろうか、と現代の我々にも簡単に想像がつくのです。この誰でも思いつきそうな単純さが、世界のどこでも斧が使われてきた理由だと思われます。

(竹中大工道具館収蔵  石斧の復元品)

斧は大きく二種類に分けられます。

柄に対して平行に刃が付いたものが縦斧
柄と直角に刃が付いた横斧という分類です

左の横斧がチョウナの起源です。ですから、ちょっと不思議な感じもしますがチョウナも斧の一種です。

斧の仲間は、木を倒すこと、削ること、木の実を採ることなどなど様々なことに、世界中ほとんど全ての文明で使われてきました。初めは石器、そして鉄の製造が始まってからは鉄器の斧が木製の柄に付けられて使用されました。

(鉄製の斧・チョウナの復元品 竹中大工道具館蔵)

丸太をチョウナでくり抜いて作られた奄美諸島の舟(スブネ・日本民家集落博物館蔵)

縦斧は主に木を倒したり、倒した木を割ったりと比較的に大掛かりな仕事に使われ、横斧であるチョウナは表面を整えたり溝を掘ったりと小回りの効く仕事に使われてきました。

このようにある種の道具が何千年もの間、変化と進化を続けながら使用され続けるということは非常に稀な事で、たとえば台カンナは日本で使われるようになるには室町時代後期からですので、およそ500年の歴史しかありません。ノコギリなども、鉄器の時代からですし、時代ごとに形が全く違います。

石山寺縁起絵巻(1324~26年)には、鋸を持った大工職が描かれていますが、現在このような木の葉の形のような鋸は作られてもいなければ使う人もいません。博物館に復元品として展示されるだけです。

ところが、同じ絵巻に描かれたチョウナは、曲がった柄を用いることといい、刃の形といい、現在も使われているチョウナと殆ど同じ形をしています。図に描かれているのは板を平らに均している様子です。

これがチョウナが「大工道具の生きた化石」と呼ばれ、半ば神格化されている所以なのです。神社やお寺で工事の始めに安全を祈願する儀式は「釿始め(ちょうなはじめ)」と呼ばれますし、電動工具が普及するここ数十年までは、丸太の皮剥きから材の成形・荒加工、臼やお椀の内掘り、名栗(なぐり)と呼ばれるハツリ目を見せる使い方、などなど、幅広く活躍してきました。

現在では、製材機械や電動工具の発達により、どうしてもチョウナでないと出来ない仕事というものが殆どありませんので、かつてのように大工職ならだれでも持っていて使えるということもありません。専門の鍛冶屋さんも一軒も残っていません。ハツリ専門の職人も数えるほどしかいないのが現状です。

チョウナの柄は、主にエンジュの木の枝や細い幹が用いられます。独特のカーブは切った後にお湯で煮てから曲げています。

(画像は竹中大工道具館のライブラリーより)

生木のうちに煮て曲げて一年陰干しをすると曲がったままで固まります。このカーブによって遠心力を付け、軽い力でも効率的にハツれるようになっています。また刃物が材に刺さり過ぎないための工夫でもあります。これもかつては農家の副業として作られていましたが需要の減少により生産者は皆無になりました。

柄はこのような状態で売られていました。十年ほど前までは、道具屋さんで普通に売られていましたが今はほとんど見かけません。

使用者は、刃と柄を買ってきて、自分の身体に合わせて刃を柄に仕込まなくてはいけません。使う人それぞれの刃の角度、材への当て方がありますので、これは自分でやらないといけません。

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