昔のハツリ跡

犬山城の床板について

前回のブログで見ました通り、犬山城に現在張られている床板の殆どは昭和36年から始まる解体修理の時に張られたものです。解体修理というのは文字通り、部材を一つ一つ丁寧に外して一度建物を完全にバラバラにして、傷んだ箇所を補修したり新しく作り直したりしてから、もう一度建物を組み上げる修理のことです。この過程で、新しい材料も沢山使われますので、何百年と経っている建物であってもその全ての材料が古いままということはまず無いです。床板は特に、割れたり擦り減ってしてもう一度使うことに耐えられないことが多いようです。そしてまた、床板は上から釘で留めてありますので、丁寧に釘を抜かないと割れてしまうので、再度使うのには手間がかかります。と、いうわけで、古い建物の床板は、殆ど新しいものになっています。犬山城も例外ではなく、パッと見たところ95%以上が新しい材です。

まず、新しい材はこれですね。

前はヒノキだと思っていたのですが、どうもツガっぽいですね。これは色が落ちていますが、黒く塗ってある床板も同じです。鉋で削って仕上げてありますので、姫路城などのように機械の刃跡が残ったままということはありません。その点では仕事が丁寧です。

ここで、では古い床板はどれだ?となりますので、これまで何度か解説してきましたが、いちおう古い床板の見分け方をおさらいしておきます。

一番わかりやすい目の付け所は、現在打ってある釘の近くに釘穴が空いていることです。

真ん中の板に釘穴が見えますね。これは修理と時に古い床板の釘を抜いて外して、もう一度張る時に同じところに釘を打つと釘が効かないので少しずらして釘を打っているからですね。ですから、余分な釘穴の開いた床板は、概ね古い床板だと断定できます。

犬山城の場合には、人がよく通る場所は殆ど新しい床板ですので、古い床板は人があまり通らないところを中心に探すと見つかります。

柵で囲ってあって人が入れない所や、

こうした棚の下などは要チェックです

こうして古い材を見ていきますとですね、やはり

こういうハツリ跡がしっかり残っていて、当初の材は木を割って製材した後にチョウナでハツって厚みを整えたものではないかと想像できます。ですから、本来であれば修理の時に材を新しくする際に、同じような加工を施すべきです。

それが新しい板は全て鉋で削って仕上げいますので、それが歴史的に正しいかというと残念ながら正しくないと言わざるを得ません。

古い材の中には、平らな板も混ざっていて

これはおそらく、江戸時代に修理して張られたもので、その当時には既に製材された板が手に入りやすくなっていたのではないかと思われます。これがどう見ても松の木で、ということはおそらく当初も松や栂や色んな木が混ぜこぜに張ってあったんではないかと思います。これは姫路城なんかも同じで、残っている古い板は色々な木が使ってあって材質もそれほど良くないのに、新しい板はやたら上質な材料を使ってしかも一種類の木で張ってしまうんですね。これも残念なところです。あまり古い仕事に対する敬意が感じられません。

とある講座で、文化財のことを担当しておられる大学の先生の話を聞いた時に「文化財、ということの意味がわかりますか?」とその先生が問われたのですが誰も答えられませんでした。その先生は続けて「それは日本という国家がこれを永久に可能な限り現状を保って保存すると決めた、そういうことなんです。ですから文化財は日本という国家が続く限り永久に残るのです」と言われました。それを聞いた時、ちょっとゾゾって感動しましたね。国家の意思、というものにはじめて触れた気がしました。なにか国家というと税金をふんだくっていったり戦争を企んだりとロクなことをしないイメージしかなかったのですが、そうか国を挙げて文化を守っていく、そういう側面もあるんだなと非常に感心したんです。ですが、こういういい加減な修理の跡を見ると、あの時の感動を返せコノヤロ〜! と言いたくなります。

いつも不思議なのですが、世の中には城郭建築の専門家という方々がいますし、一般の方でもお城マニアという凄くお城に詳しい人が沢山いるのに、古いお城に現在張られている床板が全くデタラメの歴史的に正しいものではないことを誰も問題提起しないのは何故なんでしょうか?

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