640の2ドアさ〜
このお仕事をはじめた当初からインターネットでの販売をさせていただいているわけですが、どうも顔の見えないお仕事というのは、ともすれば受注→製作→発送で終了と流れ作業的になりがちです。主に遠方からお仕事をいただくことが多いですので、全ての場所に赴くのは難しいですから仕方のないことではあるのですが……たまには、自分で積んで行こうと思い立ちました。お隣の滋賀県ですから、そう無理をしなくても良さそうですので、愛車のスバル製サンバーに積んでゆきます。
中身は栗の木ハツリ仕上げの手摺りです。
寄り道〜
ここは弥生時代の住居が復元してありました。柱は皮付き丸太のままで、板はハツってありました。写真を撮るのを忘れたので、またゆきます。
寄り道その2〜 ちゃんと今日中に着くのか?
屋根が葺き替えてからそれほど経っていないようですが、仕事が恐ろしく綺麗です。こんな綺麗な茅葺き屋根は見たことありません。
一般的に寒い地方ほど雪が多い→雪の重さに耐えられるように梁組みがしっかりしてきます。三重県のような暖かいところでは、梁の大きさや本数がこの半分くらいです。
これはどういうことかといいますと、天井を見上げた四隅の部分、角材同士の取り付けの仕事で一般的に多いのは「留め」といって45度の角度に加工したものです。
ところが、関西風ですとここをあえて留めにせず
どちらか片方を伸ばして、このように取り付けます。「留め」のほうが何となくキチンとして見えるので高級な仕事だと思われていることも多いです。「留め」の45度の所がくっ付いているかどうかが腕の見せどころだと思われているフシもあります。ところが、やってみるとわかるのですが「留め」の場合は見え掛かりの45度の部分さえくっ付いていれば良いので仕事はさほど難しくない。むしろ「留め」にしないほうが、かえって手間がかかって難しい。上の画像では暗くて見づらいので、建築の本から実例をお借りすると、
こうなってますね。角の面を大きく取ってあるので余計に仕事が難しい。では何故わざわざ手間をかけて簡単そうに見えることをやるのか?それはですね、やはり「留め」がキチンとして見える、ということは言い方を変えれば「堅い」ということですね。関西で良しとされる「はんなり」の反対ですね。そういう堅い感じを避けるために、わざわざ真っ直ぐにしているわけです。これは例えば天井だけでなく、囲炉裏の枠なども普通の民家では殆どの場合、「カッコよく見えるから」という理由で留めで接続されています。だいたいこんな感じですね。
これが、お茶室の炉に取り付ける炉縁になると、ほぼほぼ100%留めではない作り方になっています。
こういう感じになるわけですね。これなんかもですね、これが留めになっていたりすると、どうも見え方が堅くなっていけない。日本の木のお仕事というものは、そういう細かいところまでよく考えて作られているということですね。
もう一つの竿縁のほうですが、
和室の天井でよくある形式ですが、竿縁天井(さおぶちてんじょう)といって、竿縁という細い角材の上に天井板が乗っかっている形式ですね。で、それだけでは下がってしまうので天井裏で竿縁を吊り木で吊り上げてます。
(たまに天井板が下がっていることがありますが、あれは吊り木が外れてしまっているからです。)
この竿縁が一般的には縦長の長方形をしています。
これが、関西風だと横長になります。
こういうことですね。これも、ごく一般的な感覚からすれば関東流の縦長のほうがキリっとしてカッコよく見えるはずなんですよ。ただ、それだからこそ、カッコよく見えちゃうからこそダメなんだ、というのが関西の美学なんですね。このことにはちょっとしたエピソードがありまして、登場人物はジョンレノン、オノヨーコ、磯崎新(建築家)中村外二(数寄屋大工)と錚々たる面々です。
この本に記されているわけでありますが、なんでもジョンレノン夫妻がロンドン郊外に住んでいた頃、イギリス人の意地悪のために落ち込んでいたオノヨーコを慰めるためジョンレノンは日本風の部屋を作ることを思いたち、建築家・磯崎新に相談する。「東京の数寄屋建築の仕事を手広くやっている大手の工務店」(業界の人にはどこのことだかすぐわかる)が施工図面を引いたが磯崎新はそれを気に入らない。そこでその図面を持って京都の数寄屋大工・中村外二氏に相談する。そこで中村氏曰く「この竿縁は江戸前のもんでっせ。私らが見たら堅くていけません。こう変えときまひょ」とだけ言い(他にも言いたいことは沢山あったでしょう)、縦使いだった竿縁を横使いにすることを提案したというんですね。
要するに、これを
「江戸屋のもん」であって「堅くていけません」というわけで、
「こう変えときまひょ」っていうわけです。こんな小さな事でも部屋全体の空気に与える影響があるということですね。きっと何も言わなければ天井の廻り縁は東京の数寄屋工務店によって「留め」に加工されたに違いない。どちらが良いというわけでもないですが、こういう所まで気を配るモノ作りがあるということだけは知っておいて損は無いと思います。
つい最近、松阪に保存されている本居宣長先生の旧宅を見に行くと、竿縁が関西風になっていましたね。
伊勢平野は関東とも関西とも言い難い地域ですが、竿縁に関してはほぼ縦使いの関東流です。わざわざ横使いにしているのは、宣長先生が若い頃に医師の修行のために数年間京都に住んでいて、京都での生活を大変に気に入っていたことの名残りかもしれません。こういうことは、おそらく研究者の方も気付いていません。
ちなみに件のジョンレノン夫妻の日本間はお二人がニューヨークに移住してしまったので実現することはなく、空輸された材料は今もイギリスのどこかの倉庫で眠っているそうです。
長い脱線から、見学していた民家に戻ります…
主屋と別にお茶室がありました。
どうも抹茶席というよりは、煎茶席のようです。
煎茶席にありがちな、細工や工夫をちょっとやり過ぎてるところもありまして…
この柱なんかは、いちおうハツったような跡があるのですが、表面が荒れてて、何をしたらこんなに木目が浮き出るんだろうというくらいの仕上がりです。あるいは昔の人ならやりかねないですが、ハツった後にしばらく川に漬けておいてから磨き出したんだろうか? それくらい特徴のある仕上がりになってます。特徴が出過ぎて、ややアクが強いとも言えます。
諏訪家屋敷を後にして、石山寺に寄ろうとしたのですが、大河ドラマの紫式部ブームにより駐車場が満タンで寄れませんでした。
今回お届けしましたのは、滋賀県大津市の「小山建築」さんです。
現在では構造材をオートメーションの機械で加工するプレカットが主流ですが、小山建築さんではプレカットをせず「手刻み」という方法で大工さんが加工していますので技術力が高いです。お近く方で、新築・リフォームをお考えの方はどうぞ〜。
帰り道に佐川美術館を見つけました。予定にはなかったですが寄り道します。
中にあるベンチが、
どうやら、丸太からハツリ製材によって角材にされたもののようですね。
表面はこんな感じで、チョウナで打った跡が見て取れます。たぶん外国の木ですね。ハツリ製材はノコギリ製材が普及する以前は、世界共通で行われていたものです。
他に、
衝立もありました。
栗の木です。いわゆる六角名栗というお茶室などでよく使われるものですね。誰がハツって、どこの工務店が作ったか何となくわかってしまうものですね……。
無事、手摺りも配達出来ましたし、ハツリ成分も補給出来ましたので、有意義なお出掛けとなりました。(終わり)
コメント