雑感

神宮茶室の見学に行ってきました。 25/9/22

前に行ったのがいつのことだったか忘れてしまうくらい前でしたが、調べてみたら8年ぶりの神宮茶室の見学でした。

場所は伊勢神宮・内宮さんの宇治橋を渡ってすぐ左の所ですが、普段は一般公開もしていませんから、ここに茶室があることを知らない人が殆どだと思います。一般公開は春・秋の二回だけです。おそらく皇族の方が来られた時や特別なお茶会などの機会にしか使われていません。

この建物は松下幸之助さんが寄贈したもので、1985(昭和60)年の完成ですから、およそ築40年ということになります。総工費が当時で10億円ということですが、今でしたら30億円かけても同じものは建たないと思います。単にお金だけの問題ではなく、材料・技術的にも、もはや再現不可能でしょう。そういう意味では、いい時期に良いものを残されたんだと思います。

建物の入り口として、これ以上感じ良く作るのは無理ではないだろうか…

お金を残してもどのように使われるかわからないし、立派な自宅を残しても相続で潰されてしまうかもわからない。そういう意味では、こうした建物をこうした場所に残しておくのが1番良いお金の使い方なのかもですね。松下さんが作って遺した会社も、今や黒字でもリストラするくらいですから、かつての「社員は家族」というような会社では最早ないでしょう。けれど、この建物は何十年経っても尚、彼のセンスの良さをそのまま伝えています。逆に変な建物を残しておくと、「あのオッサンお金は持ってたけど、まるっきりセンス無かったやん」と何十年も語り継がれることになり、やっぱり建築というのは怖いなぁ、と思います。

ちなみにこの建物は建築資料研究社から本が出ていて、詳細な図面も付いています。

見すぎてボロボロ

序文は松下幸之助さん自身が書かれています。

「伝統精神の高揚を願って」って、それだけで10億円出せてしまう懐の深さ。今時のIT長者やらとは格が違い過ぎる。

さらに、「原寸模型を作って確認」とか、

凄いことが書いてあります。普通は平面で書いた図面のものが立体として建つわけですから、いざ建ててみると「あれっ、思ったより……」ということがどうしても起こるわけです。ここでは実際に建てる場所に実際の大きさで仮の建物を一度建てて、建物の高さ・屋根のバランスなど全てを実物大で確認しているわけです。たぶん、このようなことは今後二度と行われることは無いでしょう。

さて、少しですが、この本の図面を見て、そこから読み取れる情報を元に、どうしてこの建物が感じが良いのか、玄関周りの外観から考えて見ます。

正面の屋根は四寸勾配です。これはどういうことかというと、水平に10移動すると4上がる角度になっているということです。100cm水平に移動すると40cm上がる斜めの線が屋根の角度になります。これが絶妙で、これ以上急な屋根ですと、

赤線のような屋根になってしまい、建物の高さが高くなって聳え立つような威張った感じになるのでよくない。

あるいは、これより緩い角度の屋根ですと、

これでは屋根が妙に低く潰れたようで見た目が悪く、また勾配の緩い屋根は雨が流れにくいので建物が痛みやすい。ですのでこの建物の大きさに対してもうこれしかないっ!という線になっています。

そして、その大屋根の下にかかるこの屋根、こちらの屋根の角度がほんの少しほんの少しだけ上の屋根より緩くなっています。

どのくらい緩いかというと、大屋根の勾配四寸に対して3寸8分厘勾配。つまり、横に100cm移動する間に高さが38cm上がる勾配ということです。四寸勾配と比べると100cmあたりの高さの差は僅か2cmしかありません。パッと見ただけでは気付かないような違いです。では、なぜわざわざそのようなことをするのか、ということになります。

仮に、下の屋根が上の屋根と同じ勾配だとすると、

赤線の位置まで下の屋根がきます。そのことによって

この三角形の部分がその分だけ狭くなり詰まったような感じになって不恰好になります(実際にそういう建物はあります)。

 さらに、下の屋根の方が目に近いので同じ角度の屋根がかかっていると、その分重くるしく垂れ下がったように見えてしまいます。そういう目の錯覚を避けるためにも、同じ角度の屋根を下に付けるわけにはいかないのですね。

実際のところ同じ角度の屋根を付けたほうが仕事は楽だし早いのですが、そういったことのためにわざわざ下にくる屋根の角度を調整しているのです。建物を良くしているのは、こういう一見些細な僅かなことの積み重ねによるのです。今流行りのコンクリートの建物に意味も無くベタベタ板を貼ってみました〜、とか、空飛ぶ茶室がオモシロイ、とかああいう何の思想も無い薄っぺらいハッタリとは全く次元の異なる話なのです。

この門ひとつとってもそうですね。もっと豪華に「見える」だけの門ならいくらでもあるでしょう。しかし最も格式の高いところではここまでシンプルになってしまう、という和風の美学の逆説。

ゴテゴテと豪華に作っておくほうがかえって簡単でしょう。ハッタリが効きますから。ここまでシンプルだと、材料のほんの少しの太さの違い、ほんのちょっとしたことが全てを台無しにしてしまう。これも原寸模型で確認してあることが生きてるんでしょう。図面で描いたものをパタっと建てただけではこうはいかない。建物を建てる、という事に対する熱量が普通の建物とまるで違う。

他にももっと沢山細かい配慮があるのですが、キリが無いのでやめておきます。日本の本当の和風の建築には、こういうパッと見ただけではわからない色んな工夫が込められていることだけでも知っておいてください。

 さてさて、自分的にはここからが本題、ハツリ跡を見てゆきます。

門の脇の塀に栗の控え柱が使われています。

塀が倒れないように支える役目の柱ですね。下は地面に埋めて固定されています。普通の木ではすぐに腐ってしまいますから腐りにくい栗の木が使われています。これはよく見られる造形で、どこでもだいたい栗の六角形が使われています。細い栗丸太を曲がったなりで六角形にハツって作ったものです。古いものはヨキ(斧)でハツったままのものが多いですが、これはおそらくチョウナでハツったものですね。なんとなくわかります。

灯篭の奥の濡れ縁にも栗のハツった板が使われているはずですが、よく見えませんね。言い忘れていましたが、拝観は庭からだけで中には入れません。

通路を進むと、壁止めの材料にも栗のハツリ材が使われていますね。これは先ほどの控え柱とは違って丸太からではなく、製材した材料から作ったものですね。

このあたりは湿気が多そうで、そこそこ傷んでいます。

これもパッと見は栗材が壁の重さを支えているように見えて、実が壁の中に厚い板が仕込んであってその板と栗材が一体になって壁の重量を支えています。表面をシンプルに見えるようにするために、見えないところで手間と材料が費やされています。

さらに進むと、これも感じの良い腰掛け待合があります。

元は杉皮葺きだったものが残念ながら金属製の屋根に替わっています。

丸太の柱の脚元が少し膨らんでいて、少し踏ん張っているような力強さを感じます。このあたりも絶妙なバランスです。

この待合には、栗の六角形が今度は梁として3本使われています。これは曲がり丸太から作ったものですね。

とりわけ、真ん中の斜めに掛かった梁が秀逸です。こんなに都合良く曲がった木が都合よくあるわけもなく、何十本もある在庫の中から選びに選び抜いたことが容易に想像できます。

グニャリ

なんとなく一般に数寄屋建築というとグニャグニャ曲がった木が沢山使われているような印象ですが、実際のところはこういう「ここぞっ」という位置に少し使われているだけですね。やたらグニャグニャ丸太を使うのは大阪とか関東の流行りですね。簡単に面白く出来ますから。

ちなみにですが、生の丸太・曲がった丸太をハツって作るわけですから、製材して綺麗に作った材とは根本的に異なります。この丸太もですね、見えにくい反対側は節もあるし、

節の周りは木目がグルグルですからハツった時に木が欠けてしまったりします。最高水準の建物にしてもこれが普通です。こういった部分も含めてハツリ材の魅力、人の力より素材の強さが活きる造形とはそういうものです。

ネット上などで、上手い人がハツると逆目が無い、などよく知らない人が書いたウソが出回っていますが全くの間違いです。

これについて、私にも一つ思い出すことがありまして、大阪の悪徳名栗業者から頼まれて栗材をハツって奈良の工務店に納品したところ、養生テープがアホみたいにペタペタ貼られて戻ってきたことがありました。「ここを直せ」というわけですよ。もうアホか?という感じですね。そこが設計士二人で運営してる工務店だったわけですが、二人とも同じ建設会社の出身なんですね。今はなんでもネットで検索出来ますから、ふーん、と思ってその建設会社の名前で検索してみたら真っ先に倒産情報が出てくるわけですよ。そりゃ、こんなアンポンタン二人も雇ってりゃ潰れるよ、って、そんなこともありましたね。件の材は、アホか?と思いながら彫刻刀で削って送っておきましたよ。普通はそんなことしないんですが、訳のわかってない人相手では仕方ないです。そーいや、その手間賃は大阪の悪徳名栗業者は払ってくれなかったですね〜。お前がちゃんと説明してなかったせいやろが〜い。と、そんなこともあって、加工だけの仕事は今は警戒してあんまり引き受けていません。

と、神宮茶室に戻りまして、見学路の終わり近く、これは興味深いものを見つけました。こちらは建物の裏側にあたり特に湿気が多そうでした。すると、この辺りの塀の控え柱は、

こんな感じで、相当傷んでいる、というよりほぼ限界ですね。埋める部分を銅板で巻いたり長持ちさせる工夫は見られますが、条件が厳しいと40年が限界ですね。自分も「栗の木は腐りにくい」と書いてしまって少し反省してますが、どうもこの栗の木の耐久性を過剰に見積もって、栗の木は腐らないというような誤解が蔓延っているような気がしますね。皮の付いたまま雨の当たるところに使う、とか、一部の建築家がやるような使い方は全くダメダメだと注意喚起しておきたいと思います。

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