かねてから行きたかった姫路市の旧・古井家住宅に行って来ました。日本で二番目に古いと伝えられる民家です。築年数ははっきりしないものの室町時代後期と推定されるそうで、おおよそ築500年とのことです。
この時代には、ほとんどの部材がハツリっぱなしのままで建てられるので、修理の際に使われる新しい材料にも古い材に倣ってハツリ跡が付けられることになります。この家も一度解体修理をされているので、思ったよりたくさんの新しい材料が使われていました。
このあたり床板も全て新材です。何故わかるのかと言われると困るのですが、一年間に重要文化財になるような建物を100棟くらいは見ることをずっと続けていれば、自然となんとなくわかるもんです。例えば風化の具合などで、これは500年経ってればもっと磨り減ってるはずだろう、とか、すぐにおおよその見当はつきます。
床板は全て、おそらく磨耗や痛みで再用に耐えなくて差し替えられてしまったものと思われます。これら新材のハツリ跡を見ていますと〜(前ならこれでも十分感動しただろうけど)、何か引っかかる……。そうだ、綺麗過ぎるんだ。いや、別に綺麗なのはいいことだけど、これってこの時代の様式に合ってるのか?こういうのって、現代の謂わゆる亀甲名栗っていうのに似過ぎてないのか?? こんな整ったハツリは、よほど切れる刃物でスパスパ切らないと無理ですが、当時にそんなものがあったとは思えないし、亀甲名栗自体が江戸時代中期頃からのものだよなぁ、と。はいっ、時代錯誤決定! たぶん〜たぶんですが、これは修理をした大工さんが亀甲名栗のイメージに引っ張られ過ぎて、当初のハツリ跡と似ても似つかないようなハツリを施してしまったんではなかろうかと。ここはひとつ、当初のものと思われハツリ跡を探してみようっ、と、やっぱりあるんですね。
ススとホコリの奥に、かすかに見えるハツリ跡。チョウナの打ち方はかなりランダム、だが、これがこの時代の様式である。
これが一番よくわかります。二本横向きの材があるうちの上が当初材、下が新材。
旧材
新材
亀の甲羅状の模様を規則的に打ち出しています。綺麗だけど、室町後期の気分では、ない。
どうもやはり、修理を担当した大工さんが、当初のハツリ跡に倣うというよりは、ご自分の「ハツリ跡っていうのはこういうもんだ」っていうイメージ通りにやってしまったようです、残念っ。しかしこれはこれで、味わいは十分あるものですし、文化財の修理の現場でさえも、「ハツリ跡」などというものは、付いてさえいればいい、という扱いで、その風合いの再現までは要求もされなかったし、文化財を扱う方々の興味の対象でもなかったようだという示唆を得ることは出来るのです(涙)。しかし、ま、その時代には有り得なかった意匠を加えてしまうことは、言ってみれば、’エレキギターで弾くバッハ’みたいなもので、やや奇異な印象なんですな。
なんだか文句ばっかり言ってるみたいですが、いいところも一杯あるんです。
ずぅっと前、20年位前に読んだ「西岡常一と語る 木の家は300年」という本に写真が出ていたのは、きっとこの柱でした。柱は石の上に立てるべし、です。当初の材かはわかりませんが相当古そうです。石の上に建てれば何百年もの風雪に耐えます。現代のようにコンクリートの基礎の上に土台を敷くやり方ですと、早ければ20年ほどで腐朽が始まります。
この竹の床も夏は涼しくていいだろうな〜と。冬のことは今は忘れよう。「風流とは寒きものなり」と谷崎潤一郎も「陰翳礼讃」の中で言っていたではあるまいか。
こういうアイデアは好きです(^^)
この開口部の土壁の扱いなんて、なんかカワイイ、現代でも通用する感覚です。
といったところで、雨の古井家を後にしました。
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