昔のハツリ跡

見ぬ世の人を友とするぞ こよなうなぐさむわざなる

ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる。(徒然草 第13段)


〈ひとり灯下に書物をひろげて、遠い時代の人を友とするのは、このうえない慰めである。〉

と、いうわけで、まだ見ぬ世の人のお仕事の跡を探して奈良へ…

「歴史に憩う橿原博物館」

こちらは2015年開館の比較的新しい博物館ですが、展示の仕方がとても良いです。多くの展示品がガラスケースの中ではなく、そのまま見れる環境で展示されています。

焼き物関係がお好きな方には、特に目を近づけると土の質感まではっきりと見てとれるのでオススメです。

あまり近づくとセンサーが優しく注意してくれます。

この縄文時代(約3000年前)の船の櫂も

近くで見れば、材がおそらく硬い樫(カシ)の木を使っていることがわかります。

鉄の鎧などもこの質感。なかなかこの距離で見れる展示は少ないと思います。

自分的にはここでの一番の発見は、藤原京跡から出土した井戸の枠です。(約1300年前のもの)

ほとんど風化もなく、ハツリ跡がしっかり残っています。

柱に溝を掘ってそこに板を嵌め込む仕組みになっていますが、板全体を溝の幅に削るのではなく溝に入る部分だけを削っていますが、その削った部分にもチョウナで加工したと思われる刃の跡が見えます。

 

これもガラスケースに入っていないので実物が間近で見られます。側の板に四角い穴が幾つも空いているのは、こうした井戸枠は建物の古材を再利用されることが多かったため、建物として使われていた時の穴がそのまま残っているからだそうです。藤原京は16年ほどしか都としての役割を果たしていませんし、都が移るたびに主だった建物は解体されて新しい都に移築されたり、また残った建物は焼失してしまったりで藤原京の建物は一つも残っていません。皮肉なことに遷都でそのまま打ち捨てられて土に埋もれてしまったこの井戸枠のようなものだけが現代に残っています。ほぼ同じ時代に建てられた遺構としましては法隆寺の金堂や五重塔が今でも現存していますが、そうした建物にいくら近づいて見ても1300年前の刃物の跡を見つけることは殆ど不可能です。井戸枠などは再利用された材が多いことを考えると、ひょっとすると藤原京以前の飛鳥京(593〜694)の建物の遺物かもしれず、そういう意味でも、この井戸枠を間近で見れるというのは非常に貴重な体験です。

「奈良県立橿原考古学研究所附属博物館」

「歴史に憩う橿原市博物館」と同じ橿原市内にある博物館です。こちらの方が建物がかなり大きく展示の数も多くなっています。

建物を入ってすぐ、チケットを買わなくても見れるところにいきなり巨大な丸太が展示してあります。

丸太の中をくり抜いて筒状にしてそれを地中に埋めて井戸の枠としたものだそうで、直径は1mもあります。(奈良時代 約1200年前)

内側は恐ろしく平滑で幅の狭いナイフ状のもので削ったような筋が幾つも残っています。今でいうヤリカンナで削ったものと思われます。現代でしたら機械もありますからそれほどでもないでしょうけれど、手作業だけでこれだけの丸太の中身を掘ってくり抜くのは相当大変だったと思います。それにこれだけ大きな木であれば井戸枠にせずに製材すれば柱や板が沢山取れたはずです。井戸枠にするためにくり抜いた中身はただの木屑となってしまって何にも使えませんから非常に勿体ない使い方とも言えます。ひょっとしたら木を倒してみたものの中身が腐っていた木をこのように利用したのかもしれません。中身の腐った木であれば、どうせ製材しても大したものは取れませんし、くり抜く作業もしやすいしで非常に理にかなっています。今となっては調べようもありませんが、昔の人もわざわざ無駄の多い大変なことはしなかったでしょうから、これはおおいにあり得ることだと思います。

掘り出す前の様子がこのようですから

こちらが上で地表近くですが、かなり腐食しています。

が、段々と下のほうへ向かっていきますと…

ハツった跡がかなりハッキリと残っています。

これはお化粧とか飾りでやっているのではなく、木の皮の部分や表面の部分は腐りやすいですからそこを取り除くためにハツった跡です。皮のついた丸太を地面に埋めたらすぐに腐り始めてしまいその腐れは中へと進行しますから井戸枠としての用途を果たさなくなりますし、それでは現代まで残ることもなかったでしょう。

丸で囲った中に「下」という墨で書いた文字が残っています。これはおそらくは井戸枠の上下を示しているものだそうです。1200年も経ってるのに残ってる墨書き、どれだけ強いんだ……。

チケットを買って有料エリアに入りますと、ほとんどの展示はガラスケースの中ですが、展示の質・量ともにおそろしいくらいに充実しています。

この柱は「木製柱 古墳時代 5世紀」とありましたので何の木かはわからないのですが、

しっかりハツリ跡が残っていました。ヒノキでしょうか。1500年ほど経っていることになり、この日に発見したハツリ跡の中では一番古いものでした。

チョウナの発掘品もいろいろ展示されていました。はじめに見た丸太の井戸枠にあったハツリ跡は、この画像の真ん中上の二つのチョウナがちょうど大きさ的にも刃のカーブ具合も近いのではないかと思います。

この博物館は映像資料もかなり充実しているので、ちょっとやそっとでは見切れないくらいの量があります。オタクは何時間でも居れてしまう非常に危険なところです。

 

ひとりスマホの灯のもとに画像をひろげて 見ぬ世の人を友とし師とするぞ こよのうなぐさむわざなる。 (はつり草)

 

この後、平城京跡にもいきましたが、長くなりましたので次回にします。

 

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