昔のハツリ跡

名栗加工は千利休が????

以前、怪しげな協会から勝手に画像転用されたのでクレームのメールを送ったことがあります。その時に、その協会のウェブサイトの中に気になる文面を見かけました。「千利休が名栗仕上げを茶室に取り入れた」、とかなんとか。普通に茶室のことを知っている人ならば、ここで「?」となるはずです。千利休の作として残っているのは京都大山崎の「待庵」ただ一つで、そこには目に立つようなハツリ跡・名栗というのは一つもないからです。(細い丸太の壁止めにハツったような跡が見えますが、ああいったものは少し出っ張ったところをチャっとチョウナでハツリ取ったとかその程度のことで、それは民家にも見られるようなもので名栗と呼ぶほどでもなければ利休の発明ということでもないです)。これだけでも、ああいうことは茶室のことを全く知らない人がテキトーに書いたものだということがわかるわけです。そもそも待庵のことを知らなさそうだし、行ったことも無いんでしょう。。ちょっと興味があって「千利休 名栗」と検索をかけてみると、出るわ出るわ。やたらと、名栗仕上げは千利休が茶室に取り入れた、というよう記事が上がってきます。しかも「かの千利休が」とか特徴的な言い回しが多くの記事に共通して見られます。どうやら、誰かが書いたいい加減な記事がコピペされて拡散されているようです。少し調べればこんなのがデタラメであることはわかるはずなのですが、テキトーにネットで拾った文面を使っている人が多いんですね……。で、そういうことが書いてある殆どの記事に添えられた画像が機械加工のニセモノ名栗です。やれやれです。知ってか知らずか、自分達が売ったり使ったりしてるニセモノの権威付けに千利休の名前を利用しているだけなんですね………。

千利休のお茶というのは「侘び茶」というもので、目に立つような作意を避け、狭〜い茶室にお客を閉じ込めて、微笑み一つないような厳しい空間で冷え枯れた世界を追求する、というようなものです。それがために秀吉から切腹を賜わるわけで……そんな人が、

こんなオサレなものを思いつくわけ無いやろがいっ!! って話ですよ。

茶聖だなんだっていっても万能の神ではないのですから、お茶室に関するものは何でもかんでも千利休が生み出したわけではないです。ハツリ・名栗がお茶室によく使われるようになるのは千利休亡き後ですよ。千利休は意外と建築には保守的で、「竹の柱を使うのは目効かずのすることだ」というような言葉も残しています(その後にやたらと竹の柱を使うのは弟子の古田織部です)。ハツリを茶室に取り入れたのは利休の弟子の武士達・織田有楽、古田織部、といった方達で、その後利休の曽孫に当たる方達が創始した三つの千家(表千家・裏千家・武者小路千家)のお茶室にも取り入れられていった、というのがだいたいの流れです。テキトーに利休の名前を語るのは、なんていうか、セコいんですよね。例えば、園芸店にいきますと「利休梅」という花が売ってます。いかにも千利休に関係がありそうじゃないですか。ひょっとして利休さんが好んだ花なのかな?と思えてしまいますよね。ところがこれ、明治時代に外国から入ってきた植物で千利休と1ミリも関係ないんですよね。梅にも全然似ていない。これと同じようなものを感じますね。売らんがために、何かテキトーに有名な人と結びつけておけば良かろう、みたいな。千利休がはじめた、とか言えばもっともらしく聞こえるじゃないですか。

まぁ、とにかく「千利休が名栗を〜」みたいなことを言ってる人を見かけたら、「ネットで拾った偽情報でテキトーなこと言ってるわ」と思っておけば間違いないです。先に言ったように、千利休の残した建物としては待庵しかないわけですから、そこに行きさえすればわかることです。予約して拝観料を払えば誰でも見れます。撮影は禁止なので待庵の画像はネット上には転がっていません。自分で行くしかありません。そういう最低限の知的好奇心すら無い人が、ああいうことを言うんです。その程度の人たちなので、仕事もその程度のもんだろうな、と想像がつくわけですよ、はい。そういうことを語る材木屋は信用出来ないし、設計士であればロクに勉強してないのでまともな家は建たんでしょう。

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