雑感

ルーマニア狂想曲

これはむか〜しむかし、ボクがまだ工務店勤めをしていた時のお話。

いろいろコンプライアンス的にどうかということや、ヤバいところもありますがその会社も今は倒産して吹き飛んでしまいましたし、別に社員でもなかったので守秘義務も無いし、もう時効ということで…

はじまり

ある日、社長から「ルーマニアから仕事がきた」と聞かされた。自分としては、「なんのこっちゃ?」という感じで、まるで実感の無い話であった。東屋のようなモノを建てて欲しいとルーマニアの人が言っていて、ルーマニアで日本人のやっている会社が仲介に入っていてそこから連絡がきているという……。妙だな、というのが自分の第一印象。と、いうのは海外でお仕事をしている工務店というのは主に京都にいくつかあって、もう何十年も前からインドやらアメリカやらフランスなどあちこちで既にお茶室などを建てている実績があるところが既に存在するわけです。どうしてそういう実績のあるところを差し置いてこんな田舎の工務店に話がきてるんだ?、という点がまず疑問です。胡散臭いなぁ。まぁ、これがどうしてなのか、は後に明らかになるのですが……。社長はそんな海外事情は知らないし、すっかりノリノリで「ウチの技術力が認められたからだ!」とか言ってるわけですが、安心してください、無い、それは絶対に無い。。。

いつの間にか進んでいく

自分としては、そんな浮かれた話とは関係なく日々の仕事をこなしていくわけです。この会社のやり方として社長は仕事を取ってくるばかりで現場の実務は全部押しつけてくるので、負担が大きく忙しいから余計なことを考えるヒマが無かったというのが正直なところ。そんな中、唐突に「ルーマニア行ってくるわ」と社長が言う。え??。一度現地で打ち合わせをして来るという。まぁ、どうなるのかわかんないけど、という感じ。国内、県内、市内、すぐご近所であっても工事の日程の調整や段取りは大変だし、それらを全く上手くこなすだけでハードル高くて全然こなせてないのに、海外ましてやルーマニアで上手くやれるのか………、普通に考えても相当難しい話。しかし、どうしても海外で仕事をしたことを実績にしたいらしい。社長ひとりでルーマニアに行き、帰ってきた後に話を聞かされる。どうやらお金持ちの娘さんが日本庭園に憧れていてお屋敷の敷地に池を掘り、東屋のほか橋や門なども建てる計画でほぼ話がまとまっているらしい。えっ?まとまっちゃてるの?? お金の話とかどうなってるの???この後、社長は一度東京へ行った。なんでもルーマニア人の施主の代理人が工事代金の前金を支払いに来るので受け取りに行くという。なんだかそれもおかしな話で、海外からでも送金出来るはずなのに、なんでわざわざルーマニアから代理人がやってくるんだろうか……送金の記録が残ってしまっては困る黒い事情があったんだろうか。

動き出す

当初の話で東屋だったものものが少し大きくなり普通の平屋の建物になった。建物と橋や門その他の図面をその当時会社と付き合いのあった設計士に書いてもらったものが上がってきて、いよいよ材料が搬入されてきた。日本で加工して一度組み立てた材料をもう一度バラして船便で送るということになっている。その当時会社にいて現場の実務をしていたのは僕の他には、ヤンキー大工1号と、ヤンキー大工2号と、見習い君1号・2号だけだったので、必然的に主だった仕事は全部自分に押し付けられることになる。と、いうことはこれも必然的に僕はルーマニアまで行かないといけないということだ。海外の仕事がやれるぞ! という高揚感はほぼ無く、やれやれだぜ、本当にやるの?という感じ。さりとて謎に責任感は強いので、そこから逃げるということは出来ず、ついついいつもの悪い癖で流されるままになってしまった。

ヤンキー大工1号

見た目ほぼチンピラ。アタマは良くない。仕事が無くて困っているというので、僕がつい同情してしまい当時の会社に紹介して呼んでしまった。来た初日に柱の見える部分に間違えてノコギリで切り込みを入れてしまい、「うわぁ、これはヤバい。やっぱりダメだったか」と思ったのですが、社長は元ヤン同士で気が合うのか何故かあっさり許してしまい今後何年か居座ることになる。この1号が張った床板はちゃんと止まってなくてギコギコ床鳴りがしたり、丸太の梁を作らせたら長過ぎて家が傾くくらい寸法を間違えてたり、誰でも組み立てられるように加工して渡した材料を何故か組み立てられず失敗して長さを切ってしまったり、とこれまでたびたび謎の事件を起こしてきた。余談だが、このルーマニアの件の数年後、1号は社長にウソの密告をしてとあるリフォーム現場から僕を追い出して、お山の大将気分で調子に乗って室内で咥えタバコで仕事をしていたところを施主に見つかった。その後、社長に怒られて掛けかけの階段をそのままにして逃げるように辞めていった。最後までヤンキー道を貫いた素晴らしいヤツだった。もう一つ余談だが、1号は見習い君達に自分の道具を売りつけては半ば恐喝的な取り立てをしていたことも、1号が飛んだ後に発覚した。40手前にしても中身はチンピラのままだった。人って悲しいほどに変われないのよね。

前置きが長くなったが、このルーマニアの仕事は僕が墨付けといって材料の加工線を入れていき、ヤンキー大工1号が加工していくのだが、1号はいちいち全部説明しないと何も出来ないし、説明しても間違うのだ。あれでよく形になったもんだ。。。

新聞が来た

平屋の建物がおおかた工場の中で組み上がった時、地元の新聞がやってきた。どうやら社長が新聞社に連絡して取材に来させたようだ。仕事の段取りは全然なのにこういう動きは早い。有名になりたい、としょっちゅう言ってたから、そのためなら色々出来てしまうらしい。普通にいい仕事を一生懸命やって有名になる、ではなく、何かこうマスコミを上手く使って有名になろうという感じ。日本の伝統を世界に発信する、とか新聞受けのいいこと喋りまくってたので、何もよく知らない記者が書くからそれなりに見栄えのいい記事に仕上がっていた。

余談だがこの数年後、社長は同じ新聞に載ることになる。今度は「給料未払いにより最低賃金法違反で書類送検」とかなんとか。。給料未払いってもっと重い罪かと思いきや最低賃金法違反という扱いなのかぁ、と思い、よく読むと、200万円の未払いで20万円の罰金刑が確定とあって、あれっ? これだけ?逆に180万円得してない?みたいなこともありました。とにもかくにも有名にはなれたようだ……。

取材についての余談

これとは全く別の話なのですが、「太陽」という雑誌の取材を受けてる人のところに立ち会ったことがあります。その人は話しながら微妙にウソを混ぜていく。自分が少し手伝ったことを「あれは全部自分がやった」とか、買った材料を「自分が山に入って伐ってきた」とか、おまけに「ゼロエミッション」などもっともらしいことを延々と熱く(偽りの熱量で)語っていたら記者の方はすっかり騙されて「凄いですね」を連発していました。皮肉なことに出来上がった記事は凄くいいことしてる風な記事になっちゃってました。よーく物事を知っている人がその記事を見れば、書かれた内容とそこに添えられた写真との奇妙な齟齬に気づき「この人ウソ言ってんじゃないの?」となるのですが、そこに気付くひとは100人に1人もいないでしょう。自分も演出のためにその記事の内容に沿った役割で写真に出演させられました。今さら気付く人も居ないでしょうけど、若き日の苦い思い出、ちょっとした黒歴史です。「太陽」というと当時はそこそこ良い雑誌という位置付けだったと思うのですが、その「太陽」にしてもその程度のもんだったわけです。

新聞とか雑誌に載ったからって、全部は信用しないほうがいいです。当たりですけど。

地元にも居ましたよ。「雑誌に紹介されました! 自分がやってたことが認められて嬉しいです!」てSNSでノリノリで発信してるアンポンタンが。それ、自分でお金払って載せてもらってる記事ですから。記事の体裁になってますが、実際の中身は広告なんですよ。

どうしてわかるかって? 自分もその雑誌社から打診されたからですよ。2ページで20万円でどう?って。アホくさい話です。

ブローカーが来た

この仕事の仲介をしている会社の日本人がルーマニアからやってきた。D氏という関西人の髭面のオッチャンだ。ルーマニア人の奥さんと結婚して向こうに住んでるやら何ちゃらかんちゃら、とにかくよく喋る人。ビジネスマン風ではない。D氏はひと通りスケジュールの話を社長としたようだ。今回はそれほど時間がなくすぐに帰ってしまうらしい。ここで妙なことが起きる。社長が突如「まだアンタらに騙されてるんじゃないかと思ってる。材料を送ったらそのままバックれるつもりなんじゃないの!?」とキレ気味でD氏にくってかかる。D氏は「何を言うとんの〇〇君、そんなことするわけないやないの!組み立てるにもあなた達の技術が必要なんよ!」とこれまた興奮気味に応戦し、その場が異様な雰囲気になる。僕としては「えっ、何これ? こんな状態でここまで仕事進めちゃったの? もう一回契約から見直して一旦中止にしたほうがいいんじゃないの?」という感じ。今から思うと、そうしておいた方が良かった。そしてこの時の社長の疑いは、微妙に正解だったりする。正解に手が届きかけた瞬間だったとも言える。だがしかし、このよくわからん諍いは、よくわからん結末を一瞬で迎える。何故かD氏と社長は「よしわかった一緒に頑張ろう!」と意味不明に意気投合し、「よっしゃ飲みに行こう!」と二人はどこかに消えて行った。あれ?オレは一体何を見せられてるんだ??

港の人々

すったもんだの末、平屋の建物と橋、門が出来上がる。屋根の板金や畳、建具もそれぞれ業者さんに作ってもらう。そして、組み上げた建物をもう一度スムーズに組めるように印を付けてからバラバラの部材にしていった。これで日本での自分の仕事はほぼ終わり。なんとか終わった〜、といっても向こうで組み立てが待っているのだけれど、船便なので着くのはだいぶ先なので、しばらく間が空くことになる。

木材を輸出する時には害虫を持ち込ませないため国や地域ごとに規定があって、なんらかの消毒をしてその証明書を添付する必要がある。その作業や手続きは自前では出来ないので専門の輸出代行業者に委託することになる。そこに持ち込むために港のすぐ近くにあるその業者のところに出かけて行った。敷地内には輸出を待つ木製品が溢れかえっていてフォークリフトが忙しく走り回っている。この時は真夏で非常に暑い日だった。けれどもそこで働く誰しもが長袖の作業着で首元までしっかりファスナーを閉めていた(今流行りの空調服ではない。察してください)。おっと一人だけタンクトップの人がいた。うん?あれは緑の柄付きの長袖シャツの上に白いタンクトップを着てるのかな?と一瞬思っちゃいました(察してください)。お仕事よろしくお願いします。

ところで、消毒の方法は熱処理だという。そんな害虫が死ぬほどの熱処理をしてしまって、加工した木は反ったり割れたりしないのだろうか……。しかしこれはもう確認する術は無い。一旦輸出代行の業者さんに渡してしまえば消毒後コンテナに積まれそのまま船出してしまう。再びこの材料に出会うのは海の向こうだ。

出国

いよいよ現地へ向かう時が来た。メンバーは社長と僕と埼玉から見習いに来ていたヤッシーの三人。期間は2週間だという。見通しが甘いんではないかと思った。下屋の付いた平屋の建物を建て内外装をし、そこに大きなデッキが付く。屋根の板金工事や杉皮葺きも自分達でしなければならない。おまけに橋も門もある。これら全てを3人で2週間では相当キツい。よほど予算が無いのか無理な日程を組んでいるっぽい。

必要な道具を手荷物で持って行かねばならず、制限重量いっぱい(20キロだったかな?)にまとめるために何度も何度も詰めては計量を繰り返し出来るだけたくさん道具を詰めた。そのため余計なものを入れる余地が全く無くデジカメが持って行けず、これは少し残念だった。当時はガラケーだったので、あまりいい写真は撮れず旅の思い出になるような画像は一枚も無い。

現地で壁を塗る必要があったので左官さんが一人必要だったのだけれども、こんな突拍子もない計画に乗ってくれる職人さんは地元では見つからず、社長がmixiで見つけてきた東京の左官職人・S木さんが来てくれることになった。S木さんとは現地で合流する予定。

11月のはじめ、セントレアから出発〜韓国〜オランダと経由して、ルーマニア行きの飛行機に乗った。70〜80人乗りくらいの小さな見たことないような古い飛行機。窓が小さな丸形だったのを覚えている。

入国

ルーマニアの首都であるブカレスト市の空港に到着した。飛行機を降りる時、男性の乗務員が「la revedere」と言った。あ、これは事前に勉強してきたやつだ「さようなら」。自分も言ってみようかなと思ったけれど通じるのか不安だったので何となく手を振ってお茶を濁してしまった。

入国審査があるわけですが、ここで勘のいい人、海外経験豊富な方は既にお気付きだと思うのですが、ルーマニアに仕事に行くというのに就労ビザの話がこれまで全く出てきていません。自分は海外自体がこの時初めてで全くそういう点に疎かったので、何も考えず指示された通り2週間の「観光」目的で入国しました。今思うとこの行為自体が問題だし、そう指示してきた仲介会社ってどうなのよ、ということなのですが、これは後々になって効いてきます。

ブカレスト市

入国審査を終えると、日本で会ったことのある関西人D氏と、仲介会社の日本人社長であるT氏が出迎えてくれ、タクシーでホテルまで向かう。タクシーはBMWの高級そうなタイプなのだけれど、この国にはドイツの中古車が大量に流れてくるため日本でのような高級車という扱いではないらしい。よく喋るD氏が何でも教えてくれる。タクシーの運転手はラフな服装の30代くらいの普通のお兄ちゃんという感じで運転はおそろしく荒い。加速の時には体が持って行かれるくらいの急加速をするし曲がる時にも指示器は出さない。ここはサーキットかな? ブイブイ走っていくBMWの中からブカレストの街を見ていく。10階建てくらいのビルが建っているすぐ真横に草ボーボーの空き地が急にあったりする。スラム街か、というほどには荒れた感じはないのだけれど何か妙な感じがする。一国の首都の様子にはとても見えない。ヨーロッパ的なものも全く感じない。聞くと昔は美しい街であったのを独裁者チャウシェスクの時代に全て破壊して、思い通りの“オレ様の街“を建設する計画の途中で革命が起こって計画が頓挫したからだという。「この国は20年前までは今の北朝鮮みたいなもんやったんよ。そんなにすぐには変わらんよ。普通のヨーロッパとは全く別もんよ」とD氏は言う。そうだった、中学生の時にテレビで見た銃弾を打ち込まれたチャウシェスク夫妻の遺体の映像がすぐ頭に浮かんだ(あんなもの今は絶対に放送出来ない。とんでもないトラウマになってしまう)。D氏は続ける「今の大統領は革命当時の空軍のナンバーワン。革命の時にすぐ市民側に寝返ったから上手く生き延びたけど、チャウシェスクの時代に相当オイシイ思いをした人やで。ああいう人達はその時築いた富をスイスの銀行に預けてあったから革命後に国内の資産が差し押さえられても痛くも痒くもないということやで」とワルそうな顔で解説した。「今、仮に北朝鮮で革命が起きても同じようなことになって、中枢のヤツらが支配するから絶対すぐには国は変わらんよ」とも言った。

15分ほどで小綺麗なホテルに着いた。

レクチャー

ホテルで夕食。仕事のことは明日現場で話すとして、なんとなくこの国のことなどを教えてもらう。

T氏らの会社は主にこちらで不動産関連の仕事をしているそうだ。日本人がルーマニアで不動産の仕事をするというのがどういうものか、自分には全く想像がつかない。

EU加盟国ではあるが通貨はLei(レイ)、平均月収は10万円ほど。あまり経済は上手くいっていない。

さっきはタクシーに乗ったけれど、自分達単独では絶対にタクシーに乗らないように言われた。ルーマニア語の話せない日本人が乗ればその辺グルグル回って10倍の料金請求されるのがオチだから、とか、野犬・暴漢が普通にいるから夜は絶対に出歩いてはダメだ、とか、しっかり怖い話を聞かされて危機感を持つように言われた。

入国審査の際の「観光」で入国した件は、移民に対する規制の一環で外国人が仕事をする事に対しては凄く税金が高いから仕方がないんやで、と伝えられる。

他にも、この国はワイロ天国。税関なんかも係員にちょっと現金握らせたらチョロイ、など、あまり感心しないネタも聞かされる。

他に、「ルーマニア」というのは「ローマ人の国」という意味だから血統的にはイタリア人と同じで、元々の金髪の人というのはルーマニア人にはいない。女性でよく金髪の人を見かけると思うけどあれは全部ニセモノやで、と、今後一生役に立つことはないトリビアも伝授された。へぇぇ

ルーマニアの朝

翌日の朝から早速仕事に取り掛かる。まずはホテルで朝食をとる。テレビは朝のニュースをやっている。キャスターの女性は金髪だ。昨日のトリビアが早速生きた。心の中で「3へぇ」くらいを押した。ヨーロッパの11月は相当寒いと聞かされていたのでかなり厚着を用意してきたのだけれど、そうでもないような感じ。その年はとても暖かい秋だったらしい。テレビの画面に「Primăvara lui Noiembrie」(11月の春)と字幕が出て噴水で水浴びをする人達の映像が流れたのを何故か鮮明に覚えている。ホテルを出発する時にお昼用にサンドイッチと水を手渡された。これは有り難い。現場までは歩いて五分ほど。だけど途中で舗装されていないところもある。近づくと、塀でグルっと囲まれた広大な敷地とお屋敷が見えてくる。

お仕事始まる

お屋敷の敷地の中に入り、まずは一番気になっていたコンテナの中にある材料を確認する。やはり熱での消毒が強烈だったせいか蒸気が付いて垂れたような水シミや汚れたような感じの材が目につく。中にはギュ〜ンと反ってしまって全く使えないものもある。また余計な手間が増えてしまう……。考えても仕方ないので、早速平屋の建物の組み立て作業を始める。一度組んであるからこれはそう問題ではなくプラモデルを組み立てるようなものですからパタパタっと進んでいく。敷地内では他に道を作ったり石を貼ってたりとたくさんの人が働いていてアチコチで色んなことが行われている。しかし、そんなことに構っている心の余裕はない。ひたすら自分の仕事をこなしていく。

お昼用に持ってきたサンドイッチは鶏肉が挟んであるのだけれど、すごくパサパサしてて余り美味しくない。美味しくないがマズくもない、という感じ。こっちではこういう鶏肉が普通なんだろうか。持たされた水はラベルに川の写真があったので普通のミネラルウォーターかなと思っていたら微妙にシュワシュワしてて弱炭酸入りだった。これで自分は炭酸水にハマってしまい日本に帰ってからもしばらく炭酸水ばかり飲んでいた。この日で仲介会社の社長T氏は会社のある町に帰ってしまい、関西人D氏がサポート役として現地に留まることになる。

E嬢、そして「将軍」

翌日、お昼前であったか、このお仕事の事実上の依頼主、このお屋敷の娘さんであるE嬢がやってきた。20代後半だろうか。挨拶をして、まぁまぁ感じの良い人であった……その時は。僕は伊勢神宮に寄付した時に頂いた扇子を持っていたのでそれをお土産用に持参していて、あげたらとても喜んでくれた。

そのお父さん、つまりこのお屋敷の主にも出会った。お父さんはちょっと様子を見に来たという感じで少し離れたところから「Hello」とだけ言ってすぐにどこかに行ってしまった。60代だろうか、仕立ての良さそうなキャメル色のコートを羽織り、小柄で大人しそうな人だった。一体何の仕事をしているのだろうか…貿易商か何かだろうか。。

仕事は順調に進み、しかし2週間では絶対終わらせるのはキツいという予感はありつつも、兎にも角にもやるべき事を淡々とこなしていく。

一緒に来た埼玉のヤッシーは見習いではあるものの、かなり優秀だったので随分助かった。

その夜、やや打ち解けてきた我々にD氏はお屋敷の主人達のことを話し始めた。これがなかなかに強烈な内容で……

あのお屋敷の主人は元はチャウシェスク時代の陸軍の中枢部にいた人でチャウシェスクの元側近。今でも親しい人々は彼のことを「将軍」と呼ぶ。彼の名前はWikipedia にも載っているが、そこには彼の本当の履歴は一ミリも書かれておらず、そこに記された現在の職業は「博士号を持つ植物学者」であること。ネットで彼の過去の経歴を辿ることは不可能なこと。などを聞かされた。僕はすぐに、到着した当日のタクシーの中でのD氏との会話を思い出した。革命時すぐに市民側に寝返って身の安全をはかった政権内部の人々、独裁政権時代に蓄えた富、スイスの銀行……そして現在の豪邸。全ての符号が一致する。背筋にうっすら寒いものを覚える……。チャウシェスク独裁政権時代には軍部・秘密警察による逮捕・拷問・虐殺は当たり前。あの「Hello」としか言わなかった人物は一体何をしてどんな人生を歩んできたのだろうか……。ナンニンコロシタノ……

とんでもないことに巻き込まれてしまった、という恐怖と、今になってそれを言うか!? という怒りと、冗談だよね冗談だよね??という気持ちが混ぜこぜになってしまい頭が混乱した。ここに来てから毎晩ビールとワインを飲んでいたがこの日が一番悪酔いした。

「ブタ野郎」と、イオンと愉快な仲間たち

さりとて逃げるわけにもいかず、その方法も無く、ただただ仕事をこなしていくほかない。売られた奴隷のような気分だ。仕事そのものは順調に進み出し、少し周りを見る余裕も生まれてくる。すると、どうやらこのお屋敷内で行われていることの全体像が見えてくる。この時点で既にお屋敷の造営は何年も前から行われているようだ。統括者は皆んなから陰で「ブタ野郎」と呼ばれる設計と現場監督をする者だ。本当の名前は忘れてしまった。この「ブタ野郎」を意味するルーマニア語のスラングも教えてもらったのだがそれも忘れてしまった。「ブタ野郎」は敷地内に置いたキャンピングカーに泊まって比較的優雅に暮らしているようだ。D氏によると「ブタ野郎」とE嬢はデキているらしい。E嬢が「ブタ野郎」と会ってる時は普段見せない「女の顔」をしている、とD氏は「オレ今深いこと言ってるだろう」という感じのドヤ顔で言った。

他に、現場に常駐している10人くらいの労働者の集団がいて彼らは敷地内に小屋を作ってそこに住んでいる。彼らのボスがイオンといい、50歳くらいのいかにもボスという感じの恰幅の良いオッサンだった。彼らはそこに住んでるだけではなく密造のワインまで作っていた。ワインはvin ヴィン、差し出されたので少し飲んだ。乾杯はnoroc ノロック。朝は彼らの小屋からコーヒーの香りが漂ってくる。彼らなりに楽しくやっているようだ。彼らは穴を掘ったり物を運んだり歩道を作ったり主に単純な労働だけをやっている。中には顔にナイフでやられたものと思しき大きなキズがある人や、見た目ほぼほぼホームレスの人もいた。年齢も様々。いろんな事情があってここに流れ着いたんだろう。この工事が終われば何処へ行くのだろうか……。イオン達は元野犬だった犬を手懐けて飼っており、昼も夜も敷地内を放し飼いにして防犯に利用していた。ボス犬はチガンという名の真っ黒で体が大きく凶暴そうなヤツだった。僕はなぜかチガンに凄く懐かれた。賢いやつだ。アゴを撫でると嬉しそうに尻尾を振った(顔は殺し屋のようだったけど)。後で考えると狂犬病とか大丈夫だったのかな、噛まれたら死んでたかも。知らない国で犬に触りまくるのは良くなかったよなぁ、と少し反省。

他にも電気工事や石を張る工事など、専門的な仕事をする人も見かけるが彼らは通いで来ているようだ。専門業者の仕事は、日本人の目で見ると使っている機械も性能が悪く種類が少ない。なんとも非効率なノンビリとしたものだった。

ビッグファットママと親衛隊の女

ある日、休憩時間に作りかけの建物のそばに座っていると、日本ではまず見かけない大陸型というのかよく太った大きなオバサンがゆっくり歩いて来た。そして何だか「あのacoperişアコペリが素敵だ」というような事を言った。D氏に聞いたら屋根のことを褒めてくれているらしい。誰だろうと思ったらE嬢の母親、つまり「将軍」の奥さんだという。D氏と「膝が痛い」とか何でもないような世間話をして帰っていった。にこやかで穏やかそうな人だった。

次にやってきたのは、これは明らかヤバそうな人。D氏がそっと、あれは「将軍」の妹だ、と教えてくれる。やっぱり太くて貫禄十分。喪服のような黒い服に銀髪をバチっとセットして小さな丸いサングラスをかけ、細いタバコを吸いながら近付いてくる。この絵面はどこかで見た、と思った。そうだ!何かの映画に出ていたナチスの親衛隊の女性そのものだ。親衛隊は大きな体を揺らしながらゆっくり近づいてくる。こちらがビクっとする寸前くらいの距離でピタッと止まりタバコの煙をプシュ〜と吐き出し「Hello」と言い、ニヤっとしただけで去っていった。死神がいるとすれば、きっとさっきのがそうだ………。今日はたまたま命を刈る鎌の代わりにタバコを持ってたんだよ。

なぜかルーマニアのホームセンターでマキタのドリルを買う

夜は出かけてはダメだとD氏には言われていたものの、さすがに暇過ぎる。暇潰し用に持ってきたiPodで音楽を聴いていたが3日目で充電が切れた。コンセントに被せる式の外国用のアダプターを買って持ってきていたのだけれど、買い間違えてたみたいでホテルのコンセントには差さらない。これでケータイも充電出来ないことが確定。これが理由でケータイは電源温存のためほぼ開かず写真も全然撮らなかった。夜がヒマ過ぎて、ほぼ毎日歩いて十分ほどのホームセンターかスーパーに行っていた。ホームセンターは殆ど日本のものと変わらない。外に植木やブロックなどが売っていて店内には建材や工具が売っている。違うのは買った商品を袋に入れてくれないのでそのまま持ち出すことになること。そのため出口には警棒を持ったイカつい警備員が居て、レシートを見せて代金を払ったことを証明しないと通してくれない。メンドくさい事してるなぁ、と思っていましたが最近日本もそこに近付いてしまった。今でも時々ホームセンターで買い物して商品をそのまま持って出る時に変に緊張してしまう。警棒を持った男はいないはずなのに。。

気になっていたことがある。それは飛行機にはバッテリーが持ち込めないので充電工具が運べないため、インパクトドライバーというネジを高トルクで回す工具を持って来れなかったこと。これが有ると無しでは全然仕事の効率が違う。イオン達に借りようにも彼らも持っていない。そもそもこれは事前にわかっていたことで、D氏は現地で調達すれば良い、その費用はT氏の会社が負担する、という話であった。しかし、そこはさすが欧米の契約社会に染まりきった日本人である。覚え書きすら無いその口約束を守る気はさらさら無いようだ。「そんなの4、5万円しますやん。あなた達には大した金額ではないでしょうけど平均月収10万円のこの国では大金ですよ。そんなん負担出来るわけありませんやん!」と欧米人さながらの大きな身振り手振りを交えて大声で言い、とりつく島もない。「欧米かっ!?」とツッコんでやりたくなった。全く大した交渉術だ(言ってる中身はカラッぽだけど)。なるほど海外で長く暮らすと日本人もこうなってしまうのか。巧言令色少なし仁、などと言っても欧米カブレには通用しない。仕方がない。それでホームセンターで売っていないかと見てみるのですが、かろうじてあったのが日本のマキタのドライバードリルというもので、日本で普通に使われているものより遥かにパワーの弱いもので、こんなの今時DIYの人でも使ってない。でも、無いよりはマシ、しかし3万円!日本だったらこんなの3万円では誰も買わんて。あぁ勿体ない、悩ましい、しかし買うしかない。社長に相談すると「買わなくていい」と言う。社長がそう言うということは、その反対が正解、買ったほうがいいということだ。仕方ない、仕事が進まないと自分も苦しくなる。自腹で買うか、と夜に出かけて泣く泣く買ってきた。翌日、社長に「買ってくるんやったら事前に報告してくれやなアカンわな!」と軽くキレられた。は??これワシのカネや。文句言うならカネを出せや、という感じ。買ってきたドライバーは旧式ながら大活躍で役に立った。これは本当に買って良かった。

しかしこれ、わかると思いますが、充電工具は持って来れなかったということは持って帰ることも出来ないわけでして……置いていくしかないんですよ……まぁこんなの持って帰っても仕方ないんですが…

スーパーマーケットの不思議

ホームセンターの隣にはスーパーマーケットがあった。ヒマだったのでよくヤッシーとも出掛けた。よくわかんない食べものを買ってみたり、ハイネケンのビールが2リットルのペットボトルに入って400円くらいだったので買い込んだ。

ここで変な人達に出会う。店内で普通にペットボトルのジュースを飲んでる人や食べ物を食べてる人がいる。それも一人や二人ではない。今なら「逮捕されたYouTuberかよっ!」とツッコミを入れるところですが、当時はそんなこと知らないし、何しとんの?、あの人達は??? 翌日D氏に聞いたら「あぁ、あれ普通普通。カラの容器をレジに持ってって会計するんやで。レジに持ってくまで我慢出来んと食ってまうんやで」と言ってた。マジかよっ。

Kaki

ある日これまで見たことのない、なにか弱々しい感じの精神疾患を思わせる色白の男性を見かけた。手には苗木とスコップを持っていて、これから植えるところらしい。こちらを見て小さな声で「Kaki」と言って小さく笑った。よく見ると苗木には柿の実の写真が付いていてKakiと書いてある。日本の柿の品種の苗木のようだ。僕らが日本人と知って「ほら、日本の柿だよ」と伝えたかったようだ。彼はE嬢のお兄さん、この家の長男だった。彼を見かけたのはこの時一度きりだった。

お屋敷の中はこんな感じであった。使用人はたぶん20人くらいはいたと思う。

S木氏とそのお友達

壁の工事はある程度工程が進んでからなので、左官のS木氏は僕らより何日か遅れてやってきた。50代くらいの穏やかで話も面白い人だった。ルーマニアにも来たことがあったらしい。この仕事の後もルーマニアに留まって少し旅行する予定だそうだ。到着してはじめのうちは、さしたる仕事も無いので物を運んだりペンキ塗りをさせられたりで本来の仕事が出来ず気の毒だった。そんな折、S木さんの知り合いだというルーマニア人の女の子が現場にやって来た。とても綺麗な子。やるやんS木さん。でも左官さん本来のお仕事が見せられず残念そうだった。彼女は30分ほどで帰って行ったが、後でこれが小さな問題を引き起こす。D氏がやってきて、E嬢が「“私のお庭”に入ってきたさっきの女は何者なの!?」とご立腹らしい。D氏が珍しくオドオドしている。あれっ、「あんな世間知らずのお嬢ちゃんなんてチョロいもんやでぇ」とか言ってなかったっけ?。思えばこれがここでの初めての小さなトラブル、そしてE嬢の気性の荒さが垣間見えた瞬間だった。

そういえば、S木さんには帰国してから一度も連絡を取っていなかった。お元気だろうか…

百人一首で自尊心を保つヤバい人

現場の中や泊まっているホテルではそれなりに優遇されている感じもあったのですが、その外の世界では、なかなかに差別的な対応を受けることが多かった。スーパーの店員などもあからさまに態度を変えた。ショッピングセンターみたいな所を歩いていた時も、「チュン」とか「チャン」とか言ってくる。これは中国人だと思ってからかっているそうですけど。D氏曰く「この国では中国人グループが悪さをしたり、ルーマニア人の仕事を奪ったりするのでアジア人全体に対する嫌悪感が強い」という。で、ひとたび日本人だとわかると今度は「日本人プライス」を吹っ掛けてくる、と。そういえば自分も、買い物をした時に明らかに少ないお釣りしか渡されないことやそもそもお釣りをくれないことが何度もあった。理不尽に蔑まれたり不利益をこうむるストレスというのは結構あってイライラすることもあった。外国に行った人が偏狭な愛国主義に目覚めて帰ってくることがあるというのもわかったような気がした。ショッピングモールを歩いている時に、フっと変な考えが降ってきた。

ルーマニアの建国なんて所詮19世紀やん。オレはもっと古い由緒正しい国から来てんだぞ!そしてなんとオレは1,000年も前の詩を100個も暗記しているんだぞ!(どうやら百人一首のことを言っているようだ)。そんな高尚なヤツ、この半径1kmの範囲にオレ以外一人もおらんやろ!もっと敬意を払えコンチキショ〜〜〜。

仕事のことなども色々あってメンタルが病んでいたに違いない。小学生レベルの知識が自尊心の最後の砦になってしまっていた。恥ずいっ。

不穏な空気が漂い出す

組み立て工事自体はスムーズに進んでゆく。毎日毎日トンテンカンテンやって、とにかく現場を進めていく。

現場が進むほど、はじめは満載だったコンテナの中身は減ってゆき、そのうち色々と「おやっ?」と思えることが出てくる。例えば、内壁はラスボードに石膏を塗らなければいけないはずだが、石膏はどこに?屋根には杉皮を葺くことになってるが、杉皮これだけしか無いけど足りるの?? 屋根に敷く防水のルーフィング材が一本しか見当たらない、とか

そこで、社長に確認しますと、

石膏→発注忘れ、全くゼロ

ルーフィング→計算間違えてて足りない

杉皮→どうもよくわからない

さぁ、どうするか。石膏はS木氏の機転でラスボードを表裏を反対に貼ることで平らな石膏ボードとして扱うことで消費量を抑えようとなった。しかし、そもそも無いんだから買いに行かないといけない。社長は「オレそんなに現金持ってきてないから立て替えといて」と言ってる。仕方なしにD氏に車を出してもらホームセンターまで買いに行く。言葉はわからなくても「plaster 」と書いてあるからこれは石膏だとわかる。S木氏が必要な量を計算してくれたので、その分を買う。しめて日本円で25,000円分(ちなみにこれは帰国後に請求したところ社長は「2万円でええんやな!これ2万円やな!」と意味不明な言葉を繰り返し20,000円しか払ってもらえなかった。ヒドい)。

ルーフィングはイオンが「これを使え」と自分達の在庫をくれた。しかし、日本のものと何か違う。油紙のような質感だ。これでいいんだろうか……。

杉皮は現地で調達も不可能だし、代わりのものも無い。ある分を並べて広げてなるべく重なり代を取れるように葺いてなんとか事なきを得た。イオン達は「これはコーティングしないといけない」と言い出し、わざわざ屋根の上にヤグラを組んで吹き付けのコーティング剤を杉皮に吹き付けていた。これがどういう効果があるのかイマイチわからない。

E嬢が動き出す

イオン達が屋根の上にヤグラを組みだしたあたりから、E嬢がやってきてはD氏に何やらキツい口調で文句を言っている。D氏に聞いたらE嬢曰く「お前達は“私の”労働者を何故勝手に使うのだ? 彼らは”私の“仕事をするために居るのであってお前達を手伝うために居るのではない!」とのことらしい。僕らはD氏から「出来る仕事があったら何でもイオン達に言いつけてやらせればいい」と言われていて材料運びなどを随分手伝ってもらっていたのでこれはとても意外。と、いうかその辺の話が事前に協議されてなかったの?という感じ。これ以降はイオン達にあまり協力を仰げなくなった。

丸窓をブっ壊す

更に、E嬢は出来上がるにつれて、何かと不満な点があるらしく、指摘が入るようになる。D氏が気まずそうにやってきて「E嬢が丸窓が小さいって言ってますけど何とかなりません?」うわっ、出た。ここは日本で作っている時に何故か社長が出てきて「オレこういうの得意やでオレがやるわ!」とやったところなんだ。図面に直径1mの丸窓と書いてあるのにちょうど1m径のペアガラスの丸ガラスを発注したのも社長。そこに八角形の枠を作ったのも社長。図面には1m径とあるものが、実際の出来上がりは80cmほどになってしまっている。

こういうことだもん。そりゃ小さくなるよね。その時いちおう確認しましたよ、自分は。「大丈夫なんですか、これで?」て「ええさぁ」と、まるで沖縄人の「なんくるないさ〜」みたいなノリの返事しか返ってきませんでしたけど。

あ〜、もうこれは黙ってなんとかやり過ごせないかなぁ、と祈っていたのだけれど、E嬢から通告が「こちらの手の者で後で大きな窓を作るから、この窓は撤去しなさい」と。もう外壁も塗り掛けてるし中もすっかりボードまで張っちゃたし、ガッチリ固まっちゃてるんですよ。二人ががかりで綺麗に上手く解体しようとするんだけれど埒があかない。そのうち社長がキレてバチバチにブチ壊してガラスも割ってしまって外に放り投げてしまった。「こんな屈辱的なことは初めてだ!!」と怒ってるんですが、それ……アンタが半分以上悪いんやで。。。

そんなこんなで2週間で仕事が終わるはずもなく、滞在があと1週間延びることになった。その分余計にかかる経費などをどちらが負担するかなどがどう話合われたのか、その辺の事情を私は知らない。

左官のS木氏は次々起こるトラブルにもめげずに淡々と自分の仕事を進めていく。渋い。その都度動揺してしまっている自分達は甘かったのかもしれない。

「ブタ野郎」も動き出す

それまであまりこちらの仕事にも関心が無いようで全然寄り付かなかった「ブタ野郎」が、ここにきて急に動きを見せ始める。突然、たぶん「検査官」と書いてある黄色いベストを着て現れ、色んなところの寸法を測りだす。図面通りに出来てるか確認してますよ〜、といった雰囲気。もう既に出来てる橋の寸法を測り首を振る。イオンに何かを伝えイオンが「oh my god!」という感じで両手を広げ天を仰ぐ。安い芝居を見ているようだ。そこは社長の指示で出来るだけ幅を広げるように言われて図面より少し大きくなっている部分だ。かばうわけではないが、それで特に問題は無かった。社長はキレかけてる。またしても波乱の予感。後で考えると、このあたりの動きは仕組まれたものだったような気がする……。

決裂

何やら不穏な重苦しい空気がずっと流れてる。左官のS木氏は黙々と壁を塗ってる。橋も門も出来上がって、平屋の前の大きなデッキも出来上がり。平屋の内装の仕上げにかかってる頃、仕事が終わってから社長がD氏と久しぶりに現場にやってきたT氏に呼ばれて何処かへ行った。何かを交渉するような雰囲気。

翌日、今日が一応作業の最終日の予定になっている。明日の午前中の飛行機で帰国するはずだ。

またE嬢がやって来て外の柱の脚元の基礎を指差して何やら大きな声で怒っていて、D氏が応対している。「comple……」とか途切れ途切れ聞こえる単語から「完成させる」とか何かそういうことを言ってるのかな、とか思われた。D氏はこの頃になると、こちらの仕事の手を止めさせてE嬢が言ってる内容をわざわざ伝えに来る。それをされると余計に完成が遠のくのですけど。E嬢は「私はトヨタのランドクルーザーにも乗ってるし日本の技術に敬意を払っていたが、あんた達には失望した」と言ってます、とわざわざ伝えられてもね。あの〜、そこの基礎の部分ね、現地の人が作るのかこちらで作るのか役割分担がはっきりしてなかった部分で、左官のS木さんが出来る範囲で上手く納めておいてくれた部分なんですけど。図面と違うって言われても、事前の調整不足が原因なんで、誰が何が悪いんだか、誰にもわからない。ランドクルーザーは関係ない。ここらで自分も相当嫌気がさしてきて心が折れかかってる。

「ブタ野郎」がまた黄色いベストを着てやって来て、今度は門の柱を掴んで揺さぶっては首を振ってる。とにかく「コイツらの仕事は駄目だ」ということをアピールする役割を誰かに頼まれて演じているようだ。全くの茶番だ。あぁ、そこね。門と基礎はボルトでしっかり緊結されてるから、揺れてるのは基礎ごと揺れてるんよ。で、その基礎を作ったのは現地の人間。こちらとしては、どうしようもない。

社長は橋の指摘された部分を切る作業をしてる。図面と整合させるためにその僅かな寸法を切り落としたところで何の益もない。全くの無駄手間。日本でなら機械でバリバリ〜とすぐに出来そうだがここには手道具しかなく永久に終わりそうもない。社長が途中で手を止め「もうやめよう」と言う。

正直、自分はホッとした。もうちょっとやそっと先方と話をしたところで、お互いにとって何か良い着地点というのは全く見出せそうに無かった。もうこの重苦しい空気から解放されれば何でもいいよ、とさえ思ってた。けど、職人の性なのか仕事をする手は止まらない。社長に作業を止めるように言われ、ここで自分も全て終わったと認めざるを得なかった。

すぐには気持ちは切り替わらないが片付け始める。ヤッシーは動揺している。撤収の構えを見せ始めてもE嬢はさして問題にしていないようだ。イオンは天を仰いでから社長に「ちょっと待ってくれ」という感じですがり付いている。そして次に祈るような仕草で引き留めようとしている。社長は首を横に振っている。

左官のS木さんは、僕のところへ来て「なんとか社長を説得して仕事を続けるようにしてくれないですか?」と言う。けれど僕ももうすっかり心が折れてしまっている。仕事を続けたとしても良い結末が見えない。それにもともと今日一日しか作業日は無い。これ以上何も出来ない。これまでずっと淡々としていたS木さんがはじめて強い意志を見せたのだけれど、すみません、諦めてもらう他ない。

「将軍」の妹は慌てた様子でやってきてD氏を問い詰めている。ナチス親衛隊に詰問される関西人という、どこの映画でも見られない珍しい構図になっている。

今度はD氏が社長を説得にかかる。「オレは一度言い出したら聞かん。来てた職人をその場でクビにしたこともあるからな!」、と社長。……………それ、ただのパワハラやで……なんの自慢にもならんがな。

「ブタ野郎」はこの一連の喜劇の役目を果たし終え満足したのか、どこかへ消えていった。

-All the world’s a stage, -And all the men and women merely players.

「この世は舞台、男も女も、人は皆ただの役者だ」

脱出

お昼くらいに片付けを終え、ホテルに戻る。ホテルで従業員に出会うと「finished?」と嬉しそうに聞かれる。彼らは何も知らない。力無く微笑むのが精一杯。

これからどうなるのだろうか…? D氏とT氏から、とにかくこのホテルを早く引き払って別のホテルに移りましょうと提案される。速攻で車で出発。来る時にパンパンに荷物を入れてきてるから少し減らしたいし、充電式のドライバーも飛行機に積めないのでなんとかしないといけない。ワガママ聞いてもらってもう一度お屋敷に寄ってもらう。塀の外に車を停め、イオンを呼び出す。イオンとビオレルという手先の器用な大柄な男が出てくる。ドライバードリルの他、カケヤやクランプなどの重くて嵩張る道具、彼らが珍しがっていた五本指ソックスなどを、どうせならと二人にあげてしまった。イオンともこれでおさらばだ。ボス犬チガンが塀の中からシャッター越しにガルルガルルと凄い勢いで吠えてヨダレを垂らしながら威嚇してくる。やっぱりアイツは賢いヤツだ。僕達がさっきまでは客人だったが今は「敵」なのを理解しているようだ。

安ホテル

T氏達に連れられて空港近くのホテルに入る。この日の晩御飯をどうしたのか、とか、ほとんど記憶が無い。D氏から事の顛末の説明があった。昨晩、E嬢側と交渉した際に、残りの工事代金はこれだけしか払いませんよ、という絶望的な通告があり、悔しいがこのようになるしかなかった、と。

飛行機は明日の午前中だったはず。ドタバタの一日だったがホテルの空調はウルさいし空気が悪くてなかなか寝付けない。なるほど、昨日までのホテルはやっぱりとても良い所だったんだなぁ、と思った。

いつの間にか朝になっていた。

空港で

T氏達に空港まで送ってもらい、フライトまでしばし過ごす。左官のS木氏は単独で旅を続けるためここでお別れ。

誰も口数少ない。言葉が出てこない。自分は内心穏やかではない。飛行機のチケットは先方が用意してくれたものだし本当に有効なのだろうか? キャンセルされて足止めを食らったりしないだろうか? よもや「将軍」の権力によってEU圏内のどこかで身柄を拘束されたりしないだろうか?などなど不安は尽きない。

何もやり尽くせてないし、かといって気力も限界。今はもうただただ帰りたい。

T氏とD氏もここでお別れ。たぶんもう二度と会うことは無いだろう。手を振って別れた。

Multumesc ありがとう
la revedere さようなら

空港のショップで何かお土産ないかなと探す。ありきたりですがハチミツを幾つか買った。

お……や……、これは!

D氏からルーマニアにも木造建築があって、だけどそこへ行くためには飛行機に乗らないといけないくらい遠いから今回は無理やなぁと聞いてましたが

ルーマニアの民家の本、うん、これで十分だ。ハツリ跡も載っている。2,000円くらいだったかな。これが一番の収穫です。

こんな日に限って空港内にはNATO軍の兵士が溢れかえっていて物々しい雰囲気。何かあったのだろうか。椅子で仮眠を取っている兵士までいる。

ルーマニア〜オランダのアムステルダムまでの飛行機は、行きと同じく旧型の小さなもの。丸い窓のガラスにうっすら亀裂が見えた気がしたが、こんな亀裂一つで墜落するなんてあるものかっ!もうどうにでもなれ!、と投げやりな気分でいた。

飛行機が飛び立って少ししてから地上を見ると、のどかな牧草地帯がが広がっていた。あぁ、綺麗だね。ルーマニアを嫌いになりかけていたけれど、よくよく考えると自分の見てきたものは、頭のネジの外れた独裁者チャウシェスクが作った“オレ様の街”の残滓、独裁政権で得られた歪んだ富による豪邸、とか、とにかくルーマニアの中でも超絶極端に変なところばかりで、普通の人の普通の暮らしには一ミリも触れてこなかったよなぁ、と。ここらで少し、人の心を取り戻した。

オランダの空港でアホみたいに泣く

アムステルダム空港に着いたのですが、乗り継ぎで四時間ほど時間がある。ヒマでヒマで仕方ない。お店に何かないかなと探していたら充電器を見つけたので買った。無愛想な店員さんにお釣りをポイと投げるように渡されたが、もうどうでもいい、好きなようにしてくれよ。人種差別をするのは無教養なバカだけだぜ。とにかくこれでiPodが充電出来る。ほぼ3週間ぶりの日本の音楽。テキトーにポチッとすると徳永英明さんが「時代」をカバーしたものがイヤホンから聞こえてくる

♫ 今は こ〜んな〜に 悲〜しくて〜

もうこの時点でダメ、アホみたいに泣き出す。他の二人に悟られないようにそっぽを向いて、しかし完全に涙腺崩壊、涙が止まらない。ベンチに座ったまま、しばらく寝たフリして顔を隠していた。

帰国  また泣く

帰路は特に何も問題は無く、アムステルダム〜韓国を経て、セントレアに帰ってきた。着陸の少し前に飛行機が揺れて変な挙動を見せCAさん達が一瞬ザワついた。何事も無かったけれど、最後まで何なんだよこの旅は。もう勘弁しておくれ。

パサパサのチキンはもう飽きた。サンマの塩焼き食べたい。すっかり遅い時間なのでイオンしか開いてない。サンマが売ってないので、代わりにアジの干物を買って帰って焼いて食べたらまた泣いた。

後日譚

帰国後、何日かは腑抜けたように過ごし、しかしまたすぐに忙しい日常が戻ってきた。

2週間くらい後、そうだお世話になったんだしD氏達に何か送ろうか、と思い立つ。日本的なものが良いかなと京都の宮脇賣扇庵に扇子を買いに行ったり、五本指ソックスが欲しいって言ってたなぁとか色々思い出し、思いつく限りの色んなものを詰めてルーマニアのD氏のところに送った。

何日か後D氏から電話があり「なんか送ってもろて有難う」と、お礼もそこそこに(おいっ!!)、「お願いあんのやけど」と、ルーマニアの物件の加工中や施工中の写真をある限り送って欲しいと頼まれた。他の人にも頼んで全部メールで送って、と、どうやら電話の用件はこれがメインのようだ………。

なんか変だよね。頓挫してしまった物件の写真がそんなに必要??

僕はそんなに写真ないのですけど、僅か数枚あったので送っておきました。後はどうなったか知りません。

滞在していたホテルで一緒に呑んでる時は「こっちにはワインがわんさかあるから帰ったら送ったるでなぁ」と言っていたD氏ですが、何も届きませんね。

後日また再びD氏から電話があり。社長が写真撮ってたはずだからそれをメールで送るように言ってくれやん?社長がなかなか連絡つかんのさ、と。そりゃ、社長にしてみれば最後のお金を貰えてないわけで、それ以上対応する意味が無いだろう。

それにしても、また写真?? なんかおかしいんだよね。。。

数ヶ月後

あれっ、そういえば、とT氏とD氏の会社のことを思い出し、ホームページがあったよな、と検索してみました。

すると……………

ジャジャーン、何やら会社の「施工実績」としてあの物件が挙がっているではないですか。

えっ??

なんで途中で頓挫したものが施工実績になっちゃってんの??

と思ってよく見ると、

完成しました〜!的な写真には、T氏・D氏・E嬢・「将軍」夫妻が建物の前で仲良く肩を組んで写っている………。あの社長がブっ壊した丸窓も新しく作り直されている。

ええっ???

一瞬、というかしばらく、困惑した。

頭の中が真っ白になった。

これは、一体どう捉えたらいいのか。

あのあと和解した? 建物は現地の人で完成させた?? 現地の人で完成させることが出来たならT氏やD氏の出る幕はないよね。

は、

最初から全部仕組まれてた??

信じたくないが、そう考えるのが一番自然。

つまり、何度かの支払いはして途中まで作らせて、最後の支払いはせずにお帰りいただいて、最後はちょこちょこっと現地の人で完成させればいいわけで………。

あるいは無事完成させたとしても、なんやかんやクレーム付けてゴネて最後の支払いをしない。しかし、仕事をしに来た人はそのまま帰る他ない。

D氏がやたらとクレームの内容を伝えてきていたのも「施主がこれだけ文句言ってますからお金貰えなくて当然ですよ」とこちらに思わせるための工作だったのかも……。

ここで入国審査の件が効いてきます。

「観光」目的で入国した人が「仕事をしたのに代金を払ってもらえません」と、どこに訴えればいいのか? ってことです。

未払いされても回収する手段はゼロです。日本国内でもルーマニア国内でもどこにも訴え出れる場所が無く、先方を説得するしか払ってもらえる手立ては無く、はじめから払うつもりの無い人に払わせるのは不可能です。

これだから、海外での実績がある他の大きな会社に頼まないわけです。そういう会社なら契約等も不備のないようにするし、「観光」で入国するような抜け道は使わない。その分しっかり予算は必要です。未払いがあったとしたら、例え海外でも訴訟を差し向けるだけの能力と体力がある。こういう会社は安く使えないし、騙せもしない。

小さい、田舎の、まだ新しい、でも実績を欲しがってる、こんな会社が狙われたんだと思います。安く使えるし、騙しやすいし、騙されても泣き寝入りするしかない規模感。(見積もりの時点で大きな会社より安いし、最後踏み倒すつもりですと尚更安くなります)

ちょうどここにハマってしまったんだと思います。

こちらにも色々不備はありましたが、あっても無くても結果はそう変わらなかったでしょう。仕事を請けた時点で負けは決まっていた。

ちなみに、T氏とD氏の会社のホームページは現在存在しません。消えてしまってます。スクショ撮っておけば良かった。当時のホームページの様子といえば、不動産が本業と言ってた割にはキティちゃんのグッズを通販してたり(もちろん非公式)、何か迷走している感が否めなかった。迷走の果てに偶然繋がった大富豪との縁を利用して一儲けを企んだんであろう。野心的な田舎の弱小工務店をチョロまかすくらい楽勝だっただろうさ。

あれっ、僕、ひょっとして、騙された相手に「お世話になりました〜」って色々送っちゃたわけ?? (バカバカ、俺のバカ〜〜)

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