昔のハツリ跡

数寄屋と民家を繋ぐもの

日本民家園を見学していて、ふと、あれっ数寄屋やお茶室の元ネタって殆どここにあるんじゃないかな、と思ったので、それについて書いてみます。

お茶室や数奇屋、というと何かこうグニャグニャ曲がった柱が沢山使ってあるイメージを持っている人も多いのではないでしょうか(実際にはそんなこともなく、千利休の待庵などは真っ直ぐな木がほとんどだったりするのだけれど……)。

例えばこのような…(桂離宮)。これは実際問題として手間が非常にかかる高価なものなので、経済的にも精神的にも余裕のある方々にしか出来ない遊び心から生まれた造形です。桂離宮は宮様の別荘でもありますし。しかし、それとはまるで関係ないところで、

民家では古くから、こうした曲がり柱が使われてきました。これは遊びとかそういう余裕のある話ではなく、昔は植林して真っ直ぐに育てたような木ばかりではないから曲がった木もそのまま使わざるを得なかったためと思われます。曲がっていても、水平と垂直の基準さえしっかりしていれば問題ないです。一見すると出鱈目なようでも、例えば戸が当たる柱がこんなに曲がっていては戸締りが出来ないので、そういう所には真っ直ぐに削った柱を配置したりしていますし、もっと曲がった材は梁に使ったりと、きちんと考えられています。民家では必然として現れた曲がり柱・曲がりの梁が、お茶室や数寄屋ではデザインとして取り入れられたことが想像されるのです。曲がった柱は何も数寄屋建築の専売特許ではないのです。

 

他に、竹の節のところを木槌で叩いて割り広げてシート状にした「ひしぎ竹」。これも元々は、昔は木の板を製材して得るのが容易でなく高価だったので、竹を簡単な間仕切り用に加工して使ったのが起こりだと思われます。やってみるとわかるのですが、これを作るのはそれほど難しくないです。竹を伐って節の所を木槌で叩くと細かく割れてシート状になります。木の板に比べたらごく簡単に手に入ります。

「ひしぎ竹」も、もう少し洗練された使い方で数寄屋建築に取り入れられている。

横浜・三渓園の春草盧

土壁の保護のための腰張り。外部に使うとそれほど長持ちするものではないので20〜30年で張り替える必要があるが、竹は毎年生えてくる豊富なものなので構わない。

 

数寄屋建築では主に明かり取りのために、葦と藤蔓で編まれる「下地窓」も、

元を辿れば、民家の文字通り土壁下地の竹がむき出しの通気用の窓であろうと思われます。

 

葦を束ねて並べた天井も、数寄屋と民家の両方に見られる。

 

杉皮を壁に用いるのも「ひしぎ竹」と同じく板が高価であることと、林業の副産物として採れる杉皮を活用した、ということであろうと思われる。これは「ひしぎ竹」よりは長持ちする。壁の保護と鄙びた風情を醸すために数寄屋で使われることも「ひしぎ竹」と似ている。

 

元々は最も簡単な製材方として広く行われていたハツリによる製材も

お茶室に取り込まれる時には、「野趣」や「侘びた風情」を演出する「景色」としての役割を担っている。民家においては費用の面からツルツルの柱を選べない人々がハツリ材をそのまま用いて、お茶室や数寄屋においては敢えて選ばれて使われる。

 

茶室における藁の入った土壁は、和紙を貼った貼り付け壁に代わって千利休が茶室に持ち込んだものとされているが、これも元々は民家でのこれ以上の仕上げにかける費用が無いための必要最小限の文字通りの荒壁仕舞であろうかと思う。何も無いところから千利休が発明したものではないはずです。これも民家においては必然なものが、お茶室においては侘びた風情を演出する装置としての役割になる。他でも見られた、貧乏だからこれしか出来ないという民家の道理と、デザインとしてあえて選択する数寄屋との対照がここでも繰り返されている。

下半分は塗り直されている。土壁は雨に弱いが、これも土は容易に得られるので落ちれば塗り直せばよい、という考え方。なるべくメンテナンスの要らないものを作ろうという現代的は考えとはだいぶ異なる。傷むところは傷む、しかし簡単に補修や交換が出来ればいい、とする考え方。

 

使われ方や使われる理由に微妙な差があるとはいえ、民家で使われた手法は数寄屋建築の手法と似ている部分が多いことは確認出来た。まるでお洒落な人がちょっと着崩すような感覚で、民家の造形が数寄屋に吸収されていった様が想像出来る。時代が下れば数寄屋建築が逆に民家の建築に影響を与えたこともあったであろうと思います。民家と数寄屋建築は元々そんなに遠くない。今現在、数寄屋建築というと一般建築から縁遠いものとして捉えられるのは、一般建築が民家から遠くなってしまったためだと思うのです。現在では、一般建築の柱は真四角だしボードやサイディングに埋もれていて見えることは少ない。竹を編んで塗った土の壁の代わりに、壁の中身は筋交いと断熱材によるハリボテ工法だ。今の一般建築は民家と似ている所が殆ど無い。これが事実上、数寄屋建築を余計に特別なものにしてしまっている。数寄屋はルーツを失って彷徨っている、とも言える。しまいには、好きなように建てるのが数寄屋だ、とやけっぱちなことをする人まで現れる。このあたりが、例えば桂離宮や修学院離宮を見学しても、あの市松張りの和紙を、下地窓の形を、一二三の石を、デザインのネタとして拝借するだけ、といった表面的な見方に終始するようなことの原因ではなかろうかと。建築における和風の文化の衰退は、残念ながら一般の建築が民家から受け継がれたものと縁を切ってしまったことに起因すると考えざるを得ないのです。

 

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