昔のハツリ跡

奈良県立民俗博物館 民家園 2018/8/1

 

何度も行っている奈良県立民俗博物館の民家園ですが、今回はハツリ跡観察中心で行って来ました。

ここは広い緑地公園内に江戸時代の古民家が10数軒も移築して集められていて、どれも見応えがあります。

古民家というとやはり、こういった曲がりの丸太梁をダイナミックに組む合わせたイメージですね。ここの民家園は割と上層農民の家が多いせいか、こうした梁もカンナで平らに仕上げてあることも多いのですが、ちょくちょくチョウナのハツリ跡も残っています。

これはたぶん松ですが、非常に細かく丁寧にチョウナが打ってあります。秋に伐った松をすぐにマサカリで荒ハツリして八角形に成形して、後をチョウナで整えた感じですね。民家ですとマサカリの荒ハツリのままのことも多いですが、梁がやや低めにかかっていて目が近いためか、チョウナのハツリといえどもかなり綺麗に整えようという意識を感じます。

柱もパッと見ると、ほぼ平になっていますがよく見ると非常に丁寧にチョウナで打った跡が見えます。200年くらい経ってるはずです。

栗の柱でしょうか、もう鉋がかかる寸前くらいの丁寧さです。いかにもハツったという感じでは無いですが、実際上木の組み合わせの仕事はかなりやり易い形になっていると思われます。ほとんど角材と同じ扱いが出来ますので。この辺りの柱は横から取り付く部材が多い関係上もともと真っ直ぐな木を注意深く選んで、それをさらになるべく真四角に木作りしたのが見て取れます。

同じ建物でも、

外部に面した辺りは、こうした曲がりくねった木をそのまま使ってあります。これは何も面白くしようとして、こうしているわけではないです。この当時は今みたいに人間が植林して真っ直ぐに育てた木ばかりではないですから、その辺の手近にある木を伐って持ってくるわけです。真っ直ぐな木なんて、そうそう無いわけです。真っ直ぐな木の方が仕事はしやすいですけど、そうも言ってられないので曲がった木の皮のところだけは腐りやすいのでハツリ飛ばしてしまって、基準線を真っ直ぐに打って、水平・垂直・直角の基準を守りながら建物を作ってしまう、これが大工の仕事だったわけです。今だとこういう木は「使えない木」としてチップ工場に送られてしまうわけですが、結局のところ人間が退化して「使えない人」が増えたので「使われない木」が増えてしまった、というのが本当のところです。そんなに大きな木、立派な木を持ってこなくても、人間の方が材料に合わせて上手いこと組み合わせて木を組んでしまう、これが民家の建築の真骨頂なわけです。今、世間で「伝統工法」と呼ばれているものは、こういう技術の流れとは殆ど無縁なのは残念なことです。

 

こちらの民家園は復元の仕事もとても丁寧で、それはこういう屋根裏の仕事に見て取れます。

屋根周りの材料はどうしても傷みが早いので100年以上保つことは稀です。だいたい100年くらいで材料が全て新しく変わってしまうので、この建物が200年経っていても、この材料は比較的新しいはずです。ですからこれはきっと新材です。それでも旧状に倣ったのでしょうか、ハツったままの部材が使われています。

 

吉野地方の民家

柱は修復で殆ど新しくなってしまっているようですが、元の材料に合わせてハツリで仕上げてあるようです。

当初材とするには新し過ぎるので、おそらく差し替え材はヒノキだと思うのですが、丸太から角材をハツリ出した様子が再現されています。機械による製材が一般化する前には、よく見られたはずのハツったままの柱です。

 

これも民家でありがちなのですが、現状の建物と関係の無い建具の走る溝が掘ってあります。きっとこれは、他の建物からの転用材です。建物を解体した時に、まだ使えそうな木を取っておいて、別の建物に使ってしまう。昔はそれくらい材料を大事にしたということですね。今、古材の再利用なんていうと、ちょっとこれ見よがしなところもありますが、昔の仕事では当たり前のこととしてやっていますし、そういう材はあまり見えないところにサラっと使っていますね。

これも200年以上は経っているでしょう。前の建物を建てる時のハツリ跡、土壁の土もついたまま、床を支える材として二度目のお勤めです。200年保ったからといって特別な木ではないです。細めのどこにでもある杉をパパッとハツって使った感じです。

つくづく民家は最高の教科書や〜、と思うのです。実際に200年とか300年の間、建物を保たす工夫の総合百貨店なわけですから。

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