名古屋まで納品に行ったついでに、犬山城まで足を延ばしてきました。
最近落雷で被害を受けたとのことで見学出来るか心配でしたが、被害は鯱鉾(しゃちほこ)だけということで、見学は出来ました。裏に足場が組まれていて鯱鉾の修理中でした。
天守閣に入ると、まず目に入ってくる大きな梁。いつもながらの大迫力。しかし何回見ても何の木かがよくわからない。檜なんかな? あと、こういう少し整え気味にハツリ跡が付いた部材が、天守閣の中でこの一本きり、というのも何か気になるところ。創建当初のものとは違うんだろうか。犬山城は1・2階部分が1601(慶長6)年に作られて、1617(元和3)年に3.4階の望楼部分を載せて今の形になったというのが定説だそうで、と、なるとこの辺りは一番古い箇所ということになるのだが……このようなハツリ方が1601年、江戸時代以前にあったのだろうか? このお城は江戸時代、明治、昭和、と三回大きな修理を経ているから、そのいずれかの時のものかもしれないけど、どうも昭和のものとは思えない。どの時代にハツられたものなのか、どうも判然としない。不思議な梁である。
磨り減った床板の、そこかしこ、人のあまり通らない所に、うっすらとハツリ跡が残っている。そして、犬山城に関しては、古い床板も、一度も外された痕跡が無い床板が残ってる。昭和34年から解体修理をされたということなんだけど、床板を全てめくるほどの全面的な解体修理ではなかったということかな〜。
屋根の垂木は新しいのと古いのが混ざってるから、屋根は一度はめくって修理してあるようだ。
古い垂木。小さくポコポコはつって形を整えてあります。
新しい垂木はハツってないけど、少し色付けした程度で、そんなに違和感なく納まっています。
やっぱりこのお城は江戸時代の元和3年(1617)〜明治の一時期を除いて〜平成16年(2004)まで、ずっと城主の成瀬氏の私有であったことから、修理にもその時々のご当主の目が光っていたんでしょうか。全体に保存の状態がいいです。なにしろ文字通り「ワシの城」なわけですから、いい加減な修理など出来ようもありません。このあたりが、姫路城など、結構ええ加減な修理がされてしまう国有の城との違いかもしれません。犬山城が国宝でありながら、つい最近まで成瀬氏の私有財産であったことの意味は大きいです。
柱にも、いい感じのハツリ目出ています。
これは武具の間の柱。ヒノキかな。他の柱に比べて風化が少ないので、あるいは明治時代の柱かもしれません。でもハツリの風合いは江戸時代そのままの雰囲気がでています。
お、他にも、ちょっといいもの見つけました。
カンナ仕上げだけど、古そうな床板。ちょっとわかりにくいけど、カンナを掛けた跡がうっすら残っていて幅一寸五分(45ミリ)くらいの筋がスゥーと一直線に。たぶん幅の狭いカンナを出丸に研いでササーっと仕上げちゃったんやろな〜と。上手いよなぁ、と。今の人なら板の仕上げでも大きなカンナを使うから、板が反ってたり木造りの精度が悪いと何回でも削っちゃって寸法まで減っちゃいそうなところ、昔は木造りの精度も良くないし、良くないなら良くないなりに、床板ならこれくらいで良かろうと、チャチャ〜と仕上げちゃう、これが本当の仕事だよな〜と。
いろいろ勉強になる犬山城でした〜。
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