昔のハツリ跡

人は歴史から何を学ぶのか 川崎市立「日本民家園」 2018/7/7

「縄文展」を見に行った後、川崎市の「日本民家園」にも行ってきました。前に何度も行っていたのに十年ぶりくらいになってしまってた。

相変わらず茅葺きの屋根は美しく、敷地はこんなに広かったっけ?というくらいに広かったです。

屋根一面に苔が…

 

ハツリ跡もいっぱいあります。これはたぶん杉。細めの丸太からマサカリでハツリ出した柱です。内部の柱はあまり風化しないせいか、かなり鮮明にハツリ跡が残っています。

外部の周りは風雨によって風化してしまうものですが、ちょっとこれは!と感動したところがありました。一見すると、何でもないような柱ですが…

創建当初の柱のようですので300年ほど経っています。雨は下の方ほどよく当たるので下の方は風化が激しいです。そのため石の上に横に渡してある土台は修理の時に差し替えられています。この土台はどう見ても300年経っていません。柱を段々見上げていくと

目の高さくらい

風化の中に、ほんの少しだけ凹凸が見えます。

高さ2メートルを超えた辺りから

チョウナで斜めにハツった跡が確認出来ます。300年あまりの風雪を経ても、今だに建築当初に大工さんがハツった跡が残っています。これはおそらく丸太からマサカリでだいたい四角にハツってチョウナでコツコツと表面を整える古い製材方法の跡です。決して高級な技法でもなければ材料が特に厳選されたものでもありません。それでも300年後に自分の爪痕・生きた証を残せる。こんな仕事が他にあるだろうか。この辺りが、自分が今のいわゆる「建築家」というものの仕事に全く心が動かない理由の一つで、今の工法・材料で作っていると、どうしても建物の寿命はよくてせいぜい50〜60年にならざるを得ない。民家などは誰が建てたか調べても◯◯兵衛くらいしかわからないことも多いそうだ。名字も持たない無名の人が建てたものが300年保つ一方で、天才とか世界的とか言われる人々の設計するものでさえその5分の1程度しか保たないというのは、どういう事なのだろうか。有名・無名というのは、これほど当てにならないものなのだ。現代の建築家に一人でも天才がいるというなら、民家を設計して建てた大工は超超超超超天才なのだ。ひれ伏して教えを請うべきは、こういう建物に対してなのだ。そこを間違ってはいけない。

 

歩いて駅への帰り道…………はじめてここに来た20年ほど前にも同じことを感じたんだった……

さっき見たものとは何の脈絡も無く存在する町並み。偉大さは時空の彼方に吹き飛んでしまった。人類が進歩してるなんてのはウソっぱちに決まってる。なにもここに茅葺きの家並みがあって欲しいと願うわけではない。せめて過去との繋がり、連続性があって欲しかった。偉大な過去を振り捨て果てて、一体何処へ行こうというのか?ここで、ドイツの哲学者ヘーゲルの言葉の意味が重く響く。

「我々が歴史から学べるのはつまりこういうことだ。人類は歴史からは何も学ばない。」

 

しかし……、昔読んだ本にこういうことが書いてあった。ある家具職人さんが、日本民家園に何度も通ってここの空気を自分の感覚に覚え込ませて、ここに置いてもおかしくないものだけ作ろうと心に決めた、というようなお話だった。今、それだけの覚悟を持ってモノ作りをしている人がどのくらいいるだろうか?ここに置いてもおかしくない、ってことは時を超える普遍性を持っているということだ。逆に、ここに置いて違和感があれば、それはそのものが時代を突き抜けるに十分な力を持っていないということ。一時だけ面白い・カワイイと思わせるだけなら、それほど難しくない。300年後にも魅力を保つものを作ろうと思えば、これはもう常人の手の及ぶところではない。民家はこうした常人離れした技術と知恵の集積が形を持って地上に現れた奇跡なのだ。これを見逃す手はないのである。もし、モノ作りの人が歴史から何か学べるとしたら、こういうものに触れてみるしかないのである。

この柱をハツリ倒した人の事を誰もが忘れてしまった後も、やったことだけは残っていくのだ……。そういう志を持たなくてはいけない。

ずいぶん前にここに来て思ったのは、そういうことだったんだ。と初心のあるところに帰ってきた気がした。やっぱり民家は永遠の規範なのだ〜。

 

↓   川崎市立日本民家園 ホームページ

http://www.nihonminkaen.jp

 

 

 

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