さてさて、先日行った名古屋の白鳥庭園では、たくさんハツリ跡を見つけることが出来ました。
門の控え柱、栗の六角なぐり。定番的な使い方ですね。門が転ばないように支える役目です。これの脚元は地面に埋めておいて、門の柱とを貫で連結して門を支える、と。その方がしっかりしますが、なにぶん土に埋めた脚元が腐りやすいですから最も腐りにくい栗を使う、と、誠に理にかなっております。
茶室の壁止め、栗の六角なぐり。これも、よく見かける使い方ですね。これによって土壁が地面と接するのを防ぎますから、土壁も傷みにくいですし、地面との隙間があることによって床下の通気に役立ちます。ここも、地面からの湿気を受けますし雨もよくかかりますから水に強い栗が使われるわけですね。
と、ここまで順調だったハツリ巡礼に突如、暗雲がっ。
あ〜なんか橋があるな〜、
これも栗で出来てるのかなぁ、と近づくと
むむっ。
なんじゃこりゃ〜。材は栗だけど、誰がどうハツってもこのようにはならんし、機械で加工したんやろけど、ほぼ、何がしたいのかわからんレベル。高層ビルのミニチュアにも見えてしまう。めちゃくちゃ手間かかってるわりには全く逆効果。こんなものは、他のどこでも見られない、まさしく名古屋クオリティ〜、エビフリャーハツリだぎゃ〜。
さらに橋脚を見ると〜
またまた何がしたかったのかよくわかんない、ハツリを模したつもりなのか、しかし全く似ていない模様が全面に付いている。模様は相当に深い。おそらくは電気の際カンナでゴリゴリと削りまくって付けたのでしょうが、エッジが立ち過ぎて凄く尖っている。当然、こんなハツリ跡はどこにも、無い。こんなに深く掘ってしまっては、この段差に水が溜まって腐ってしまい木の傷みが進みやすい。図面を描いた人、作った人は、ハツリ跡というものを一度も見たことがなかったのだろうか? せっかく茶室周りには、いいハツリ跡が揃っていたのに偽物とゴッタ煮状態。
こういう不幸なものが出来てしまった理由はさておき、これが例えば京都なら起きうるだろうかと考えてみると、まず無さそうだと思われる。と、いうのは、例えば京都市の事業で、京都の業者がこのような仕事がしたとすれば、「〇〇はんとこ、市の仕事で、みっともないもんさらしおったで〜」という噂は静かに確実に、しかも疾風のような速さで都中を駆け巡り、その業者は京都市内での全ての仕事を失う覚悟が必要になる。こういう恐れがいわば「抑止力」となって、おかしな仕事が為されることを防いでいる。人口の問題ではない。名古屋市の人口230万人に対して京都市は147万人。もののわかる人、がある一定数いるということが、こういう不幸な仕事の出現を阻むのである。建築物というものは、発注者の、そして作った人の、これまでどれだけ物を見てきたか、ええもん知ってるか、良くも悪くも「実力」がはっきり出てしまう。
そしてまた、例えば舞台であれば見巧者(みごうしゃ)と呼ばれる、芝居を見慣れた厳しい観る目をもった観客の存在が、舞台の水準を保つ下支えしているのである。公共建築においては観客はさしずめ一般市民である。一般市民の審美眼が問われてもいるのである。
そして、これが答えである。市民の審美眼を甘くみているのである。「アンタ方にはこれくらいのニセもんで丁度ええんだわ〜」という担当者の声が聞こえてきそうだ。目眩がしそうだ。これが名古屋City の実力だがね〜。
と、いうところで終われるかと思いきや、またしてもアカン、アカンやつを見つけてしまった〜。
三重県立博物館(Mie Mu) で
あれっ、このベンチはっ
おやっ
思いっきり機械加工やんけ〜!しかも材料が外材の集成材、一番アカンパターンやんか〜
どうりで、地元、三重県の仕事がほとんど無いはずや〜〜ん(涙)
ええもん、別に、県の仕事でこんなポンコツハツリがまかり通るようなとこには、用事あらへんもんね〜。
とにもかくにも、こういうものを晒しておっては、博物館の「格」が疑われることになる。どうせ展示も胡散臭い紛いもんが展示してあるんとちゃうんか〜い。
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