建築

機械加工と手道具による加工について…

時々、あるんですね。ネットの拾い画像が添付されてきて「こんな風に出来ますか??」という問い合わせが……。見ると、そういうのはたいてい機械加工のやつなんですね。「誰にモノ言うとんじゃ!」という気持ちを抑えて抑えて抑えて抑えて、「これ、機械加工で、ウチはそんなんやってないんですけど…」「そうですか」 はい終わり、みたいな無駄なやり取りが年に何度か繰り返されるんですね。ネットで画像拾ってるなら、そこに真っ直ぐ問い合わせればいいのに、わざわざ余計な回り道してこんでも……。たぶん、あちこちに問い合わせて一番安いところに頼むつもりなんですよ……メンドクサ〜イ。

結局、機械加工のバッタもんなんていうのは「馬鹿馬鹿しいそれなりのもん」に過ぎないのだけれども、良いか悪いかで言えばどちらでもない。むしろ「必要」とさえ言える。建築というのは結局どこまでいっても「格」の問題なので、その人がそれまで何処へ行きどれだけ良いもの見てどれだけ本を読みどれだけ感性を磨いてきたか、などなどなどの「人間力」の集大成なので、全てがいいものである必要がない。冷たい言い方ですが、「それなりの人」には「それなりのもん」が似合ってしまうし、それで必要十分だし、バランスが取れてればそれでいいんです。ええもん知らない人、資格はやたら持ってるけど感性ゼロの人、わかってない人にええもん使ってあげても、所詮は猫に小判ですから。

わけのわかってない施主・わけのわかってない設計屋・それなりの材料、この三つでバランスが取れてしまう。これを「建築の三位一体」と呼ぶ。どれか一つでも強いとバランスが崩れてしまう。設計士がよくわかっている人なら、そもそもそんな材料選ばない。施主がわかってる人なら「こんなもんイヤ」て言う。この三位一体のためには、「それなりのもん」も必要なんです。

逆にいえば、わかりやすいですよ。「それなりのもん」が使ってあれば、もれなく「わけわかってない」施主と設計屋がセットで付いてきますから。たまに施工能力の低い工務店もオマケで付いてきます。そういうレベルの低い「自己表現」のためにも、機械加工の「ハツリ風」というのは必要です。

 

とある京都の老舗が東京の資本に買収されたところで、機械加工の床板が使ってありました。これ一つでここが「伝統を破壊し、文化と縁を切った」というのが見てとれるわけです。いかにも東京の資本らしいやり方です。わかりやすくて大変よろしいです。「わけわかってない」お客さんが来て「わぁ素敵!」と言ってくれることでしょう………と、思ってたらコロナで営業停止して売却されちゃうみたいですね。すると、これ買う人も当然……おっと、これ以上言うと消されそうだ………

 

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コメント

  1. おっしゃること、納得です。
    それは、建築全般に言えるでしょうね。
    人も物も、相応の格同士で成り立ちます。
    この不景気で先立つものが無いので、格の低いものが出回るのはやむを得ませんが、
    底辺が広いのは、それはそれで良いことかも知れません。
    紛い物に触れる機会があることで、本物に興味を持つ人が出てきます。
    本物しかなければ、ほとんどの人にとって見たことのない雲の上の存在になって、絶滅を待つ存在になるかも。
    紛い物があるから、本物は素人にとってもホンモノになります。

      • hatsurist
      • 2020.08.13 1:45pm

      相応の格同士で成り立っている、という視点を得ると、いろんなことが見えてきて面白いと思います。
      大したことないモノを大自慢で紹介する人、紛い物の宣伝に一生懸命な人、それぞれ格に応じた振る舞いだということですね。

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