少し前のことになりますが、和歌山県の「紀伊風土記の丘」というところに行ってきました。民家が何棟か移築保存されていること、古墳がたくさんあるということで以前から気になっていたところです。
着きましたね。さすが、みかんの国、来る途中もみかん畑が沢山見えました。駐車場から風土記の丘までの歩道が綺麗に整備されていて、ヤマモモがいっぱい植えてあります。ヤマモモはやはり暖かい気候に合っているようです。三重県でも南に行けば行くほど多いです。六月頃はすごく沢山実がついてます。
少し食べてみましたが、味は、うーん、積極的にウマイ!というほどではないですが、甘さ控えめ控えめのサクランボという感じでしょうか。ジャムにしたらきっと相当美味しいはずです。
博物館も併設されていますので見学してきました。
チョウナも展示してありました。1700〜2000年くらい前のものですね。袋状というのは柄が入る部分が丸く袋状に加工してあるからです。何故か考古学ではチョウナも斧も両方とも「鉄斧」と表記されるようです。
で、民家です。
紀伊風土記の丘の丘に移築されている民家は姿も良いのですが、移築の際の仕事がとにかく丁寧です。他の施設で見るような、変な鋼鉄の筋交いが入っているだとか、交換した新しい材がおそろしく違和感があるだとか、そういう嫌なところが全然無いのが凄いです。
例えばここにある曲がった丸太の梁ですとかその周辺の材料は、よくよく見ると交換した新しい材なのですが違和感が殆ど無いです。一般の方なら古材だと思うことでしょう。
これなども、古材に倣って丁寧にチョウナでハツった後に表面をバーナーで焼いて磨いたような形跡がありますので新材ですが、パッと見ただけでは十分古材に見えるくらいの質感に仕上げてあります。
こちらの古い梁はどうも先端を斧で切ってあるんですね。おそらく山で斧で木を伐り倒して、その同じ斧を使って長さを切ってるんですね。
同じようなものを「あいち朝日遺跡ミュージアム」で見たことがあります。
こちらも斧で叩き切ったような跡がついてます。凄いですね、弥生時代から江戸時代まで人間のやることってそんなに変わってない。
これが、移築された時の新しい材になっても、
ちゃんと、それっぽく再現してあるんですよね。こんなところ誰も見ないだろうにいちいち芸が細かい。ほんとに丁寧。
柱にしてみても、こういう建物ってどうしても柱が腐ったりして新しい柱が沢山使ってあるものですが、ほんとにわからないくらいに仕上げてあります。
古〜い柱にもハツリ跡が残ってますね。栗の木でしょうか、斧でハツッた後にチョウナでコツコツやった感じですね。江戸時代の民家の標準仕様、ハツリ製材による柱です。
ハツリ製材といえば、これぞ!というのがありました。
この柱ですが、この見えてる部分は外部に面してるんですね。ヨキ(斧)でハツりっぱなし。
この同じ柱の内側はというと、
家の内部は人目につくということで、斧のハツリっぱなしでは見映えが悪かろう、という意識が働くのかチョウナでコツコツ丁寧に仕上げてありますね。そしてカマドの火の煤がついて黒くなっています。現代の目で見ると斧ハツリのほうがカッコいいような気もしますが………。
他に、床板が大鋸(おが、文字通り大きな鋸)で挽いた跡がそのまま残ったものであったりします、
これなども、もしこれが元々使われていた床板だとしますと相当丁寧に外して持ってこないと再利用出来ないわけです。こういった移築民家の場合、床板などは全てが新材に置き換わってしまっているのも普通ですので、とても珍しいです。
別の建物ですが、漁師さんの家に船の板を再利用したのを張ってありました。茶室の天井などで川舟の板を再利用したものを張ったのを時々目にしますが、あれなどは何の脈絡も無いですし「どうだ、粋だろう?」という見栄っ張りな自意識が感じられますが、こういうのは「ただそこにあったから張った」という自然な感じがして実にいいですね。いろいろ考えさせられます。
紀伊風土記の丘はとにかく広大で、古墳群は見尽くせないほどありますし(中に入れる古墳もあります)、花も樹木も沢山植えてあり、紀伊地方に多いですが全国的にはとても珍しいトガサワラの木も見れます。
古墳時代のクスノキの巨木がドドーんと置いてあったりもします。
直径が4mもあり、説明書きによりますと、西暦350年頃に芽生えたクスノキで西暦700年頃まで生育していたそうです。その後なんらかの理由で埋もれたものが平成23年の台風の後に紀の川で発見されたというシロモノだそうです。見ていると、向こう側から風が吹いてきたのですが、しっかりクスノキ特有の樟脳のような匂いが漂ってきました。
とにかくここは見どころが多く、とても1日では回りきれません。また、来たいと思います。
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