これは物騒なお話ですので、書いてよいものやら迷ったのですが、せっかく見つけたのも何かしら意味はあろうかと思いますので記しておきます。
明治から昭和初期の小説家・幸田露伴(1867〜1947)の作品に「五重塔」(明治25年)という小説があります。「のっそり」とあだ名されるうだつの上がらない十兵衛という大工が谷中の感応寺に五重塔を建てるまでのお話です。今読むと文語体の格調高い文体はいかにも重々しく、なかなかスラスラとは読みにくいところもありますが、五重塔を十兵衛が建てることが決まるまでの経緯や人間模様が生き生きと描かれています。まさにこの人間模様がこの小説の主題でありそのページの多くを占めていて、実際に五重塔を建てる仕事場の風景などは、ほんの少ししか出てきません。しかし、そのほんの少しの間にこの小説最大の「事件」は起きます。
五重塔の建立の第一の候補であった高名な棟梁・源太の弟子が「のっそり」に五重塔の仕事を奪われたことを逆恨みして「のっそり」十兵衛の頭に斬りかかります。十兵衛は避けた拍子に耳を切り落とされ肩にも傷を負います。そこで使われる凶器がなんと、残念なことにチョウナなのです。その描写…
真っ向より岩も裂けよと打ち下すは、ぎらぎらするまで研ぎ澄ませし釿(ちょうな)を縦にその柄にすげたる大工にとっての刀なれば…… (岩波文庫版「五重塔」p.86)
大工にとっての刀、など格好良く描写されていますが、なんのことはない血生臭い復讐の凶器として使われているだけです。
ここで、この描写の通り「釿を縦にその柄にすげたる」を再現してみます。
チョウナというのは通常はこのように柄がついているものですが、
柄を差し込む部分(櫃、ひつ)と、柄の先端はほぼ正方形になっています。
これによって通常の横使いから縦にすげ変えることも出来るわけです。
小説と同じように、すがってしまいました。ちょっと振ってみたのですが、マジで危ないです。一見オノに似ていますが、遠心力がつくのでオノより素早く振れて小回りが効き片手でも振れます。「大工にとっての刀」とはよく言ったものです。オノのほうが大きく重いぶん破壊力はありますが、武器としてはたぶんこちらのほうが優秀(?)です。その辺の竹とかペットボトルをスパっと斬る動画でも撮ってみようかと思いましたが、本来の使い方ではないですし、危険行為で炎上しそうなのでやめておきます。
時々、海外にチョウナを持って行こうとして手荷物検査で没収された人の話を聞きますが、それは当然です。まさか空港の係官が「五重塔」を読んで知っていたとは思えませんが、これはダメです、絶対ダメ。良い子は真似しちゃダメです。
さて、そうするとですね、この使い方って、じゃあ幸田露伴先生が考えたものなのか?という疑問がわいてくるのです。しかし、そのような新奇な描写では読者がスッと読めないではないですか。幸田露伴先生は生まれは江戸時代ですので、当時は軍記物語などを集めた「講談」という分野の本が多数出版されていたようですので、ひょっとするとその中に「大工にとっての刀」の描写があって知っていたのかもしれません。江戸時代生まれの方にはお馴染みだった可能性もあります。そう考えますと、例えば昔は大工といっても半農半工のような感じで普段は農業を営んでいた方も多かったそうですから、農民一揆で使われた武器の中には鍬や鋤に混じってチョウナもあったのかもしれません。あるいは、明智光秀という人は最期は落武者狩りに遭って命を落としたそうですから、彼の命を奪ったのは、この「大工にとっての刀」だったこともあり得るわけです。
十兵衛はというと重傷を負ったにも関わらず休まず現場に通い続け、ついに五重塔は完成します。そこでこの物語のクライマックス、巨大な暴風雨が江戸の町にやってきます。お寺から何度も呼び出しがかかりますが、十兵衛は自分が建てた五重塔は大丈夫だからと見にも行かない。あまりに言われて遂にはお寺へゆき五重塔に登って嵐の中じっと佇んでいる。この塔に何かあれば自害をする覚悟で。塔の下には仕事を譲った棟梁の源太もいる。こちらは、この塔に何かあれば十兵衛に詰め腹切らせる覚悟で。
結局、塔は無事で嵐は去り物語は結末を迎えるのですが、ここを読んでいてしきりに思い出すエピソードがあったのですね。
それは京都の高名な数寄屋大工の中村外二さんが晩年に九州で普請をしていた時のお話です。その年、九州に最大風速70mという巨大な台風がやってきて現場を直撃したそうです。お弟子さん達は、怖いからと宿へ帰ってしまった。建物にそれほど被害も出ず、台風が去った後、もう一つの嵐・中村さんが京都からやって来て、怒鳴り散らかしてる。なんで千載一遇の経験を逃して宿へ帰ってしまうんだ?建物が風でどう動くか、どう傷むかをなんで見とかんのや?と。「立てっとらんだら建物の陰へ行って、這いつくばっとったらええやないか!」と。このお話と十兵衛のお話が重なって思えました。なんでもこの「五重塔」は明治・大正・昭和と非常によく読まれた作品だったようで、モデルとなった天王寺の五重塔が昭和57年に焼けてしまった際には露伴先生の娘の幸田文さんに「あなたのお父さんの塔が焼けてしまいましたよ」と電話がかかってきたということもあったそうで。中村外二さんも明治の生まれの人ですから案外「五重塔」を読んだことがあって、あるいは十兵衛を念頭においていたのかもしれません。その言わんとするところは、手掛けている建物と心中するくらいの心構えで仕事をしろ!ということなんでしょう。私自身は嫌いでないですが、令和の世の中には到底通用することではないですし、風速70mの台風の中で現場に残ることを強要したら今ならパワハラ炎上待った無しです。もう価値観が全く変わってしまっています。
思えば、「五重塔」が出版された当時・明治25年頃でしたら、読み手は何の説明も無しに文章だけで頭の中に情景を描けていたということでしょう。大工さんなんかも身近にいたし、一般の方でもチョウナについても知っていた。ところが今は、写真付きで解説を添えてやっと理解できるかどうかというところ。言葉が通じないって言うことは、明治の人が当たり前に持っていた気概みたいなものも通じないということでしょう。はぁ、明治は遠くなりにけり……。
(追記)
そうそう、「五重塔」の中で「はつる」の新たな用例を見つけたました。
わりと「斫る」を使っている人が多いですが、これは石やコンクリートをハツる場合に使われる漢字です。前からわかっていたのは、大きな辞書で調べると木の場合は「削る」で「はつる」と読みます。これも私が最初に言い始めたのですがインスタなんかで勝手にパクってんのを見かけました。こっちは図書館まで行って調べてんだぞぉ、ネットで楽して拾うなコンチキショーと思って、どうせこれもパクられるけど記しておきます。
さすが露伴先生。釿(ちょうな)で「はつ」ると読ませる文豪だけに許されるエクストリーム訓読み。材を「き」って読ませるのも、なんか良き。
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